私達の生きる枠

 私達は霊の初穂を与えられ、信仰によって義と認められ、御霊である神の言葉<聖霊が働く聖書と説教という神の言葉>によって守られている、ということの中で聖化の歩み、聖霊のもとに導かれる歩みをすることが赦されています。これは大きな私達の枠です。私達の生きている大きな支えです。船といってもいいかもしれません。その中で私共は生きている。それは、ルターの信仰義認の体験や、アウグスティヌススの死の床における御言葉とのかかわり、そういうものによって示されるように思います。「万事が益となる」ということは、御言葉によって守られ、御言葉を通して御霊によって支えられている、ということに尽きると思います。