2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧

どのような妨害に会おうとも

テサロニケのユダヤ人達は、ベレアまでパウロ達を追いかけて来て伝道を妨害しました。しかし、どのような妨害に会おうとも、パウロはこのように語っています。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な…

素直・熱心・聖書を調べる

パウロ達はベレアの町でも、ユダヤ人の会堂に入り伝道しました。ベレアのユダヤ人はテサロニケのユダヤ人と比べて素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、その通りかどうか、毎日、聖書を調べていました(11節)。その結果、多くの人が信仰をもつに至りまし…

妨害

メシアがイエスであると信じた人々は改宗しましたが、信じないユダヤ教徒たちはパウロ達を妬み、暴力で伝道を阻止しようとしました。彼らはパウロ達が滞在していたヤソンの家を襲い、訴えようと探しますが見つからなかったので、代わりにヤソンの家にいたヤ…

力と聖霊と強い確信とによって

後にパウロは、テサロニケ教会宛てにこのように書いています(1:5)。「私達の福音があなた方に伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と聖霊と、強い確信とによったからです。」さらに2章初めには「兄弟達、あなた方自身が知っているように、私達がそち…

はじめに

パウロ達がフィリピを出て向かった先はマケドニアの首都、テサロニケでした。ここでパウロは三回の安息日にわたってユダヤ人の会堂で伝道しました。パウロの語ったことは、1.メシアは必ず苦しみを受けることになっていたこと(イザヤ書53章4−5など)。2.…

17章1−15節

1 パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。2 パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、3 「メシアは必ず苦…

22:26−32

26 あなたの慈しみに生きる人に/あなたは慈しみを示し/無垢な人には無垢に27 清い人には清くふるまい/心の曲がった者には策略を用いられる。28 あなたは貧しい民を救い上げ/御目は驕る者を引き下ろされる。29 主よ、あなたはわたしのともし火/…

主の憐れみは日毎の糧にも及ぶ

私達が信じて従うイエス様は、食べ物を必要とする私達を分かって下さり、憐れんで下さる神様であり、実際に私達を養って下さいます。恵みを与えて下さる神様に感謝しています。 私達は日毎の糧を必要とする一方で、「キリスト・イエスのものとなった人達は、…

12の籠

伝道に派遣され、旅から戻り、休む間もない弟子達でしたが、彼らは「神の国」をこの世に実現する為の働き手として、神の国を表わす「奇跡」に立ち会うことになりました。全ての人が、主の憐みによって与えられた恵みの糧で、霊的にも肉体的にも十分満たされ…

旧約聖書における神様の憐れみ

エジプト脱出後、イスラエルの民は砂漠での空腹に耐えられずモーセに対して不満を言いましたが、神様は天からマナ(食べ物)を与えられました。又、今朝の民数記では、民が再び食べ物のことでモーセに不満をぶつけるので、神様は「肉」を与えるとモーセに言…

有るものに目を注ぐ

時がだいぶたち、群衆の食事の心配をした弟子達は、この人々を解散させようとしましたが、イエス様は弟子達に彼らの食事の世話をするよう、命ぜられました。お金も食材もなく人里離れた場所では店もなく、弟子達が「そんなことは出来ない」と思ったであろう…

はじめに

イエス様がなさった奇跡で、四つの福音書に共通しているのは、今日の「五千人に食物を与える」話だけです。マルコ福音書では、この「奇跡」がなされる前にイエス様と弟子達の状況がどうであったのか詳しく書かれています。12使徒は、イエス様から汚れた霊に…

6章30−44節

30 さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。31 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかった…

11章10−13節

10 モーセは、民がどの家族もそれぞれの天幕の入り口で泣き言を言っているのを聞いた。主が激しく憤られたので、モーセは苦しんだ。11 モーセは主に言った。「あなたは、なぜ、僕を苦しめられるのですか。なぜわたしはあなたの恵みを得ることなく、この…

強い光

この中で二箇所を特に「強い光」として心に刻みたいと思います。 一つは、「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。」 もう一つは、「できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。」 このことを、今日の伝道所設立の記念礼拝の時に覚…

「光としてある」とは・・

そのようなことを思う時に、光としてある、とは一体どういうことかということを、ローマの手紙の12章9節から読んでみたいと思います。 「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れ…

燭台は教会

光を灯すのが私達(神の光を得る)とするならば、その燭台は「教会」であると言えるかと思います。教会はイエス・キリストの体であると教えられています。世の光として私達が光り輝く。それは燭台と共に輝くといっても過言ではないと思います。ある意味で教…

新約聖書における光

光というものは、旧約聖書だけではなくて新約聖書においても大事な役割として表現されています。二つほど新約聖書から光について選び出したいと思います。まず、光というものは神である。私達の心に存在する神そのものである。という言い方が記されています…

七枝の燭台の光

ゼカリヤに示された幻、七つの枝のある燭台の光は、「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって」と主が語る。そういうことを私達に教えております。武力や権力によって成し遂げられることであったとしても、そうではなくて、「主の霊によって」なす…

イスラエルの民の思い

荒野の旅をしてイスラエルに戻った彼らは、エルサレムを首都と定めて安定した国家を形成しようとしていきます。荒野でさまよっていた不安定な時代だけでなく安定的な国家を形成して安定した時代にあっても、七枝の燭台のある幕屋の神殿は、相変わらずユダヤ…

常夜灯(一晩中ともす光)

ゼカリヤ書4章の最初に、神から示された幻が記されております。 「『何を見ていたのか』と尋ねたので、私は答えた。「私が見ていたのは、すべてが金でできた燭台で、頭部には容器が置かれていました。その上に七つのともし火皿が付けられており、頭部に置か…

はじめに

イスラエルの国は、その首都を今も昔もエルサレムに置いております。政治の中心地ですから、当然ながらエルサレムには国会議事堂があります。その傍にこじんまりとしたバラ園があり、そこにブロンズ製のモニュメントが建てられています。モニュメントは少々…

12章9−21節

9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。11 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。12 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい…

4章6−7節

6 彼は答えて、わたしに言った。「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず/ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。7 大いなる山よ、お前は何者か/ゼルバベルの前では平らにされる。彼が親石を取り出せば/見事、…

説教要旨 「ただわが霊によって」 東北学院大学 佐々木哲夫先生

伝道所開設6周年記念感謝)の礼拝説教要旨

福音のために、すべてを明らかに。

翌朝、執政官たちは、こっそりと二人を釈放するよう部下に命じます。パウロとシラスは、恥と屈辱を加えられたままこっそり町をでることを拒否し、ローマの市民権を持つ自分達に不当な待遇と不法を行ったことに対して、執政官みずからが出向いて牢から連れ出…

問いに対する答え

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」 これが答えです。主イエス・キリストが、神の子であり、私の救い主であると信じる決断をして、そのことを公に告白した時、人は救われるのです(ロマ10:9)。パウロ達は看守に神の言葉を…

救われる道への第一歩

看守の、この「問い」こそが救われる道への第一歩です。 この問いは、「自分は救われなければならない人間である」ことを知らされた者の問いです。看守は、パウロとシラスに出会ったことによって、救われていない自分に気付き、救いを求めたのかもしれません…

看守の救いへの道

駆け付けた看守は戸が開いているので、囚人たちが逃亡したと思いこみ、自殺しようとしました。パウロは看守に大声で「私達はみなここにいる。」と叫びます。看守は二人に対して、震えながらひれ伏し、尋ねました。 「先生方、救われるためにはどうすべきでし…

獄における神様のわざ

この占いでお金をもうけていた主人達は、その道が途絶えたことを知り、パウロとシラスを捕えてローマの執政官に引き渡し、二人が町を混乱させ、非合法な教えを宣伝していると訴えました。群衆も一緒に騒いだ為、高官達は二人の衣服をはぎ取り何度もむちで打…