2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

 4章17節 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

◆四人の漁師を弟子 *はじめに 私共キリスト者にとって、世界を変えたものは二つあると思います。 一つは、キリストがこの世界に来られたことです。神がこの世界に、私共に、御子キリストを送って下さったことが世界を変えたものです。これは私達だけではな…

 71編 1−3節 主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく 恵みの御業によって助け、逃れさせてください。あなたの耳をわたしに傾け、お救いください。 常に身を避けるための住まい、岩となり/わたしを救おうと定めてください。あなたはわたしの大岩、わたしの砦。

15−16節 わたしの口は恵みの御業を/御救いを絶えることなく語り/なお、決して語り尽くすことはできません。 しかし主よ、わたしの主よ/わたしは力を奮い起こして進みいで/ひたすら恵みの御業を唱えましょう。

真のメシア

イエス様の、メシアとしての役割は「苦難のメシア」(イザヤ52〜53章)でした。この世を武力で抑えつけるのではなく、この世の暴力によって殺され、罪のない者として血を流すことで、人々の罪をあがない、神様からの赦しをいただくことが神様からのイエス様…

エルサレム入城

二人の弟子は、自分の上着を子ろばの上に敷きました。この行為は、王に敬意を示し、即位を喜ぶ意味が含まれています(列王記下9章)。それに倣うかのように、群衆が道路に上着や葉のついた枝を敷いたりして、待ち続けたメシアをイエス様に重ね合わせ、「ホサ…

証人とされる

イエス様から命じられた二人の弟子は、その言葉に従って子ろばを連れてきました。主の預言や御言葉の正しさを証明する証人にされたのです。彼らは恐らく、自分達の行動の意味を理解していなかったでしょう。彼らは期せずして、そのような恵みに与(あずか)…

子ろばと柔和

イエス様一行がエルサレムに近づき、ベトファゲとベタニアの町にさしかかった時です。イエス様は弟子達に「子ろば」を連れてくるよう命じました。それは、ゼカリヤ書の預言に従って、メシアとして子ろばに乗り、エルサレム入城をなさる為でした。「子ろば」…

はじめに

今日の聖書は、イエス様生前の最後の一週間の初日(日曜日)として、イエス様のエルサレム入城の出来事を記している箇所です。イエス様は、ご自分がエルサレムで十字架に架かることを預言されていまが、それは、人々の罪を贖(あがな)う為の、神の御子の悲…

11章1−11節

一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つ…

9章9−10節

娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。 わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。戦…

福音にふさわしく生きる

私達がこの譬えから学ぶことは、私達に与えられている福音の恵み・喜びを、イエス様という私達のご主人の為に、使って増やすことです。具体的には、イエス様のことを伝え、イエス様の教えに従って生きること。自分を喜ばすのではなく、イエス様に喜んでいた…

譬えの意味

この譬えで家の主人とはイエス様のことです。「王の位を受けて帰る」とは、イエス様がこれからエルサレムで受難され十字架の死と復活の後、天に昇られ、神の右に座すという「神の栄光を受けられて」、やがて再臨と言う形で戻って来る、という長期の不在の予…

しもべの報告

最初の僕は1ムナから10ムナ儲けたと報告します。10倍です。王は喜び、褒美として10の町の支配権を与えます。最初に託した1ムナに比べると想像を越える大きな委託です。次の僕は1ムナから5ムナ儲けました。5倍です。そして3番目の僕も報告します。彼は1ム…

たとえ話

話は、ある立派な家柄の人が王の位を受けて帰る為に、遠い国に旅立つことから始まります。旅立つ主人は、10人の僕を呼び、1ムナずつ分け与えて、主人の不在中、このお金で商売をするように命じます。ムナはギリシャの銀貨で、100ドラクメに相当します。1ド…

はじめに

今日の譬え話は、ザアカイの家に立ち寄られたイエス様が、そこに集まっていた人々に話された話であると考えられます。この話の前提として、「人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたから」とあります。つまり、エルサレムに向かうイエス様に従ってき…

19章11−27節

人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。 イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠…

78編1−8節

【マスキール。アサフの詩。】わたしの民よ、わたしの教えを聞き/わたしの口の言葉に耳を傾けよ。 わたしは口を開いて箴言を/いにしえからの言い伝えを告げよう わたしたちが聞いて悟ったこと/先祖がわたしたちに語り伝えたことを。 子孫に隠さず、後の世…

信じ、求め、憐れみを受け、感謝し、主を愛し、主に従う。

バルティマイは、長年、盲人ゆえに物乞いをして生きることを強いられ、苦しみと絶望、困窮に対して忍耐を続ける中で、救いを求めていました。叫び続けることができたのは、自分の苦しみはイエス様によって絶対救われる、との信仰を持ち続けることが出来たか…

「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

彼は癒されました。すぐ見えるようになったのです。彼は自分の何が問題であるかを知っていました。彼はイエス様を救い主と信じ、治して下さると信じて呼びかけに喜んですぐ応じました。そして自分の願いをはっきりと言い表し、治していただきました。そして…

「あの男を呼んで来なさい」

バルティマイの叫びをイエス様は聞かれ、「あの男を呼んで来なさい」と言われました。そこで人々は、「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」と、今度は招きの仲介をしています。バルティマイは、その言葉に喜び、上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエス様の…

バルティマイの信仰

「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」(47節)との彼の叫びは、彼の信仰告白です。ユダヤ人達は預言者の言葉を通して「メシアはダビデの子孫から生まれる」と信じていました。バルティマイの、イエス様への呼びかけは、「メシアであるイエス様!」…

はじめに

イエス様が、十字架という受難を受けるべき場所・エルサレムを目的地として、一行は旅をしています。そしてあと20数キロという町エリコに来ていました。町を出ようとしていた時、一人の盲人バルティマイが、イエス様一行が来ていることを人々から伝え聞きま…

10章46−52節

一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。 ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんで…

29章11−14節

Tわたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。 そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。 わたし…

兄息子

他方、弟の帰宅を喜び迎えることの出来なかった兄についても、イエス様はくわしく語っています。兄は、弟の為の祝宴が開かれていると聞いて怒り、なだめる父親に、自分がどんなにこれまで働いてきたかを訴え、父親の不公平さをとがめます。兄息子は、正しい…

神の愛

父親とは父なる神様のことです。家出し、堕落した弟息子は私達人間のことです。父親のもとにいれば安全で平安の日々が保証されているにもかかわらず、弟息子は自由を求め、家を捨て、自己の欲望を満足させる為に財産を使い果たしてしまいました。同じように…

帰宅

そして、家には雇い人がいて豊かに食べていたことを思い出します。彼は、父に赦しを乞い、自分も雇い人の一人にしてもらおうと決心して自分の家に向かいます。帰って来た息子を、まだ遠く離れていたのに父親は見つけて、憐れに思い、走り寄って抱きます。息…

「放蕩息子のたとえ」

今日の聖書は、有名なイエス様の譬え話の一つです。二人の兄弟がいて、弟は、父親が元気でいるのに自分の遺産相続分を要求し、家を出て遠くに行き放蕩の限りを尽くします。無一文になり、住んでいた地方が飢饉に襲われ、食べるのに困り、ある人の所に身を寄…

はじめに

日本キリスト教団では、10月の第一日曜日を「世界宣教の日」として、宣教師の方々を覚えて祈ります。宣教師の方々からも、ご自分の活動について報告があり、毎年教団から冊子が送られてきます。現在、ベルギー、ドイツ、インド、インドネシア、台湾、カナダ…

15章11−32節

また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国…

37編7−9節

沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や/悪だくみをする者のことでいら立つな。 怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。 悪事を謀る者は断たれ/主に望みをおく人は、地を継ぐ。