2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「神の愚かさは、人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」(同25節)

神様は何でもお出来になります。しかし神様はご自分の力を、人間の目から見れば愚かにしか見えない十字架という形で示されました。十字架にかかったイエス様こそが神の御子であり、救い主であるのです。その十字架を「愚か」としか見ない者は滅びの道に進み…

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私達救われる者には神の力です」(一コリント1:18)

この言葉から、福音が、この世の知恵や知識ではないことが明らかにされます。聖書が伝えているのは、人間の救いについてです。イエス・キリストの十字架が示すものは、人間の罪の赦しであり、神様の愛であり、神様の知恵、力なのです。なぜ神様は、人間にと…

伝え続けていること

教会は、この福音を2000年間伝え続けてきましたし、仙台南伝道所でも、神様が天地を創られ、世界を創られ、人間を創られ、生きて働いておられること。神の独り子であるイエス様が地上に遣わされ、目に見えない神様のことを目に見える形で教えてくださり、人…

はじめに

今日の聖書は、イエス様の十字架について、神様の御計画の意図を伝えているところです。神様はこの世界と人間を創られました。しかし人間は罪を犯し、不完全なものとなり、完全なる神様との関係は断絶されました。罪をつぐなうことのできない人間に、神様と…

 1章18−25節

18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さを意味のないものにする。」20 知恵のある人はどこにいる…

 29章13−14節

13 主は言われた。「この民は、口でわたしに近づき/唇でわたしを敬うが/心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても/それは人間の戒めを覚え込んだからだ。14 それゆえ、見よ、わたしは再び/驚くべき業を重ねて、この民を驚かす…

信仰は、火で精錬され、試練によって本物と証明される(一ペトロ1:7)

生きていく途上においては、さまざまな試練・労苦があります。しかし私達は信仰に踏みとどまらなければなりません。イエス様の弟子とされた者は、神の民として、この世に身を置きながら神様の支配のもとに生きています。私達が聖霊の導きによって生きる時、…

「信仰に踏みとどまる」(22節)

パウロとバルナバは帰り道、新たにキリストの弟子とされた人達を力づけ励ましました。危険を冒してまで引き返したのは、このためでした。二人は「私達が神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と語りました。「多くの苦しみを経る」とはどう…

イエス・キリストの弟子になること

イエス様は「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことが出来ない」と言われました(ヨハネ14:6)。イエス様を神の子と信じてイエス様に従う者(イエス・キリストの弟子)は、真理の道・光の道を歩くように導かれます…

「弟子達」(22節)

この「弟子達」とは、伝道によって新しくイエス・キリストの弟子とされた信者のことです。クリスチャンとは、言い換えればイエス・キリストの弟子になった人(弟子とされた人)のことです。復活されたイエス様は、弟子達に「あなたがたは行って、すべての民…

「引き返しながら」(21節)

これまで先に先にと進んできたパウロとバルナバでしたが、二人を送りだしたアンティオキア教会に戻るにあたり、デルベからその先のタルソス(パウロの故郷)を通って帰ることも可能でした。しかし彼らは石を投げつけられて逃げるように出てきたリストラの町…

はじめに

今日の聖書には、パウロとバルナバがデルベという町で伝道し、多くの人々が信仰をもったこと、その後、これまで通って来た道を引き返しながら、今回の伝道により新しく出来たキリスト者の群れを訪問したこと、その後、自分達を送り出してくれたアンティオキ…

 14章21−28節

21 二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、22 弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるよ…

 121編1−8節

1 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。2 わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。3 どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。4 見よ、イスラエルを見…

受難節

今は受難節です。イエス様が早い時期から、人々の罪を贖うために、苦しみの道、死の道を覚悟されていたことを覚え、人間としての罪の重さを思い、主の贖いへの感謝の思いを強くしたいと思います。神様の基準に自分を合わせずこの世の浅はかな価値観、自己中…

メシアが来る前にエリヤが来るとの預言

当時、「メシア(救い主)が来る前にエリヤが現れる」(マラキ書)と言われていました。イエス様は、「その人はすでに来た。しかし人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子(ご自分のこと)も、そのように人々から苦しめられることになる…

ヨハネとイエス様の死

洗礼者ヨハネの生涯は、神の子・イエス様の生涯を予め示しています。この世の権力者が不正な方法で(とても納得できない形で)、神様が遣わした正義の人を殺す。洗礼者ヨハネは権力者ヘロデ王に、そしてイエス様ご自身も、当時の宗教指導者や政治権力者に殺…

ヘロデ王、ヨハネを殺す

しかし彼は、妻や娘の悪だくみと自分の見栄やメンツによりヨハネを殺してしまいます。「王は非常に心を痛めた」(26節)とありますから、かなり不本意な結果だったのでしょう。欲望に流されて決断の基準がない人間の愚かさが表れています。彼は、正しいと信…

ヘロデ・アンティパス

ヘロデ大王の息子、アンティパスは、兄弟の妻を盗るという律法違反を犯しました。ヨハネは決然とこのヘロデ王を断罪しました。やましさを感じていたヘロデ王はヨハネを捕えて牢に入れ、自分の悪評を封じ込めようとします。悪は公けになるのを嫌い、隠れたが…

洗礼者ヨハネ

ヨハネはイエス様の親類であり、祭司の息子でもあり、由緒正しく、荒野で禁欲生活をしていた人物でした。ルカ福音書に「神の言葉がザカリヤの子ヨハネに降った」とありますから、ヨハネは神の言葉を託され、選ばれた「預言者」でした。約四百年間、預言者は…

はじめに

今日の聖書は、イエス様の素晴らしい御業の噂が広まりガリラヤの領主ヘロデ王にもその噂が届いたこと、ヘロデ王はイエス様を、自分が処刑した「洗礼者ヨハネ」の生き返りの人物として恐れたことが書かれています。

 6章14−29節

14 イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」15 そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者…

 3章23−24節

23 見よ、わたしは/大いなる恐るべき主の日が来る前に/預言者エリヤをあなたたちに遣わす。24 彼は父の心を子に/子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって/この地を撃つことがないように。

石打ち

この後、伝道を阻止しようとやって来たユダヤ人達が、又もや群衆を扇動してパウロ達に石を投げつけました。パウロは倒れたまま動かなくなったので、ユダヤ人達は死んだと思い町の外へと引きずり出しました。20節にはパウロの周りを「弟子達」が取り囲んだと…

「生ける神」

生ける神とは「天と地と海と、その中にある全てのものを造られた神」(15節)のことです。この神様と比べるなら人間の手による偶像は無の世界、死の世界に属します。生ける神様は、異邦人にはこれまで彼ら自身が悪の道を歩むに任せておられたので、異邦人は…

伝説

この地方には、かつてゼウス神と、神の使いヘルメスが変装して地上を訪問した時、神と知らずに冷たく迎えた者と、暖かく迎えた者についての伝説がありました。人々は今目の前で起こったいやしの行為者であるパウロとバルナバを神の化身として崇め、二人にい…

まことの癒し主

9節に、「この人が、パウロの話を聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め」たとあります。ロマ書に、「聞いたことのない方を、どうして信じられよう」(10:14)とあります。この男の人はパウロの話に耳を傾けました。…

はじめに

今日の聖書には、リストラ(地名)で起こった3つの話が記されています。一つは、生まれた時から歩いたことがなかった男の人がいやされた話。二つ目は、パウロとバルナバが、神の化身と間違えられたこと。三つ目は、追いかけてきたユダヤ人達により石を投げつ…

 14章8−20節

8 リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。9 この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、10 「自分の足でまっすぐに立ちなさい」…

 19編2−7節

2 天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。3 昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。4 話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても5 その響きは全地に/その言葉は世界の果てに向かう。そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。6 太陽は、花婿…