「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私達救われる者には神の力です」(一コリント1:18)

 この言葉から、福音が、この世の知恵や知識ではないことが明らかにされます。聖書が伝えているのは、人間の救いについてです。イエス・キリストの十字架が示すものは、人間の罪の赦しであり、神様の愛であり、神様の知恵、力なのです。なぜ神様は、人間にとって最も大切な救いへの道に、「神の子としての崇高な姿」を印象づけるような道ではなく、「十字架」を置いたのでしょうか。その答は「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」(同1:19 および イザヤ書29:14参照)からです。自分の力で神様を知ろうとする人の知恵や賢さは、神様によって滅ぼされるとイザヤは預言しました。昔も今も、知識人、学者、この世の論客は沢山います。頭脳明晰な、天才、秀才、博士と呼ばれる人達も多くいます。しかし十字架を理解するのは、この世の知識ではありません。目を上にあげ、神様が「私の創り主」であることを知り、自分の小ささを知り、神様の前にへりくだることがないなら十字架を理解することはできません。人間の知恵・知識の進歩と、神様への知識は比例しません。