2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

神の国で食事をする人

主人は神様。しもべはイエス様。最初の招待客は選民ユダヤ人。そして食事の席についたのはユダヤ人が日頃、軽蔑していた異邦人(私達日本人も異邦人)です。イエス様は、私達に神の国について知らせ、入る道を示し、招いておられます。それは、御子イエス様…

イエス様のたとえ話

譬えは、主人が盛大な宴会を催そうとして大勢の人を招いたけれども、招かれた人は出席を断り、代わりに招かれなかった人々によって宴会の席は満たされるという話です。当時、宴会は習慣的に招待が二度告知されました。一度目は予告、二度目は当日『準備が整…

祝宴にあずかれるという過信

客の一人が「神の国で食事をする人は、何と幸いなことでしょう」と言いました。神の国は、旧約の時代から、神様がご自分に属する者達のために備えた祝宴として考えられていたからです。彼は神の国の食事の席に、自分も招かれていることを確信していました。…

「招くなら、お返しが出来ない人を」

次にイエス様は、招待主に、「招くなら、貧しい人、身体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい」と、言われました。その理由は、「その人達はお返しが出来ないから、あなたは幸いだ」ということです。招待とは、招いた人々に、無限に恵…

イエス様の教え

イエス様はここで、招待客が上座に座りたがっているのをご覧になり、人から招待されたら末席に座るように教えられました。上座に座りたいという願望は名誉欲です。自分を人より高く置こうとする欲望は、空しさと危険が伴います。名誉は自分の力で自分のもの…

はじめに

今日のルカ福音書14章1節に、「安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた」とあります。イエス様は時々、食事に招待されて、いろいろな話をされたり、時には病人を癒され…

14章15−24節

食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。 そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、 宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておい…

9章8−13

主は裁きのために御座を固く据え/とこしえに御座に着いておられる。御自ら世界を正しく治め/国々の民を公平に裁かれる。虐げられている人に/主が砦の塔となってくださるように/苦難の時の砦の塔となってくださるように。主よ、御名を知る人はあなたに依…

受け入れる

「受け入れる」という言葉は「ウェルカム」という歓迎の意味を含んだ言葉です。 私達はイエス様を「主」として歓迎しているでしょうか?生活の中心として仰いでいるでしょうか? イエス様が子供を抱き上げられたように、その弱さ・小ささ・無力さゆえに子供…

「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える人になりなさい。」

そこでイエス様は、再び神の国の人間の価値について教えられました。神の国は神様が共におられる世界です。神様の愛は、弱い者や力のない者に注がれます。そして打ち砕かれ、へりくだる霊の人にご自分の命を得させると語られます。(イザヤ書57:15)。 イエ…

弟子達の無理解

その道中で、イエス様は弟子達にご自分の「受難の死と復活」について二度目の預言をされ、「(わたしは)人々の手に引き渡され、殺される」と付け加えられました。それでも弟子達はイエス様が「苦難の僕としてのメシア(救い主)」であることを理解せず、イ…

はじめに

イエス様一行は、フィリポ・カイサリア地方から南の方に移動を始められました。フィリポ・カイサリアは、ペトロが初めてイエス様を「救い主」と告白した場所です。その事でイエス様は、神様の大事なご計画「神の御子が多くの苦しみを受け、殺され、三日後に…

9章30−37節

一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。 それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。 弟子たちはこの言葉が分か…

25編12−21

主を畏れる人は誰か。主はその人に選ぶべき道を示されるであろう。その人は恵みに満たされて宿り/子孫は地を継ぐであろう。主を畏れる人に/主は契約の奥義を悟らせてくださる。 わたしはいつも主に目を注いでいます。わたしの足を網から引き出してくださる…

神はわれらと共にいて下さる。

イエス・キリストの答えは明快でありました。 『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れる為である。』 驚くべき言葉です。目が見えないことが神の業が現れる機会であるというのです。具体的にどのような業が現れる…

「誰が罪を犯したか」 

この不条理という問題は、新約聖書にも出てまいります。今日引用したヨハネ福音書もその一例です。「イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子達がイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯し…

不条理を受け入れる

人は誰でも不条理を抱えて生きている。むしろ意味を見つけ出して、その不条理を受け入れる時、自分が自分と和解出来るのでないかと悟ったというのです。不条理の人生を嘆くのではなくて、不条理の人生に対して、自分なりの答えを投げかけ、そしてその人生を…

不条理

不条理という問題に直面したのはヨブだけではありません。ユダヤ人がユダヤ人というだけで虐殺されたホロコーストの体験も不条理でした。皆様も読んだり聞いたりしたことがあると思いますが、その不条理を伝えた本の一冊が、精神医学者のヴィクトール・フラ…

ヨブの悩み

その言葉を聞いたヨブも又そう思い、因果応報に従って考えました。ですから非常に困惑し、悩んだのです。なぜなら、こんな結果を招いた原因であるはずの罪を、自分の内に見出せない。悔い改めたいのだけれども、何を悔い改めていいかわからない。全き人ヨブ…

三人の友人達

ヨブは全てのものを失い、そして自らの命にかかわる災厄をこうむる。いわれなき災厄です。不条理が襲いかかってきたのです。さてそんな時に友人達がやってまいります。テマン人エリファズ、シュア人のビルダド、ナアマ人のツォファルの三人の友人がお見舞い…

サタンの主張

サタンの主張は『ヨブは御利益があるから信心があるのだ。何も得るものがなければ信仰を捨ててしまう』というのです。「結果があるから原因がある」というのです。サタンはヨブを試みました。家畜や子供達を取り去って(即ち、神から与えられた祝福のすべて…

ヨブ  

ヨブ記を概観しますと、登場人物を四つに分けることが出来ます。順に挙げると、ヨブと家族、神、サタン、ヨブの友人達、のグループです。 ヨブ記は次の言葉から始まっております。「ウズの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生…

因果応報

因果応報というのは、それに従って、良いことは良い結果を生み、悪いことは悪い結果を生む。どのような時においても、勧善懲悪(良いことを行なった人はほめられて、悪いことを行った人はこらしめられる)という結果で終るならば、私達の心は平安の内に納得…

はじめに

本日の礼拝は仙台南伝道所開設七周年の記念の礼拝であり、又、ペンテコステの礼拝ともなっております。ペンテコステは、ギリシャ語の50を意味することから五旬節(ごじゅんせつ)とか五旬祭とか訳されております。ユダヤ人は過ぎ越し祭から数えて50日目に春…

9章1−5節

さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を…

 42章1−6節

ヨブは主に答えて言った。 あなたは全能であり/御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。「これは何者か。知識もないのに/神の経綸を隠そうとするとは。」そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた/驚くべき御業をあげつらって…

「神の業が現れるため」 佐々木哲夫先生(東北学院大学)

<ペンテコステ礼拝及び開設七周年記念>

弟子の道

キリストの弟子は、キリストの教えを守り、キリストに従う者になりたいと願います。キリストの教えの根本は神様を愛することと人を愛することです。さらに、キリストの弟子は、神様が聖であられるように私達も聖なるもの、清い者になることを願い、神様が義…

御命令と約束

山の上で、イエス様は弟子達に重大な命令と約束をされました。命令とは「すべての民をわたしの弟子にしなさい」というものです。そして約束は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」です。 弟子にする対象は「すべての民」です。例外はあり…

「そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし疑う者もいた。」

11人の弟子達は、復活のイエス様に会ったマグダラのマリアともう一人のマリアから、ガリラヤに行くようにとのイエス様からの伝言を聞き、この山に登ってきました。そして、復活されたイエス様にお会いし、礼拝しました。しかし11人全員がイエス様の復活を、…