因果応報

因果応報というのは、それに従って、良いことは良い結果を生み、悪いことは悪い結果を生む。どのような時においても、勧善懲悪(良いことを行なった人はほめられて、悪いことを行った人はこらしめられる)という結果で終るならば、私達の心は平安の内に納得するのですが、正しい者がひどい目に合ってしまう、悪い者が栄える、となると、私達の納得はたちまち崩壊し、当惑してしまいます。筋が通らない、道理がたたない、理解し難い、不条理である・・心の中は穏やかではいられなくなるのです。
善良な市民が因果応報に合わない災厄に会う。これは不条理であり、どうしてこんな事が起きるのか、と嘆くことになります。不条理をどのように理解して受け止めればよいかという課題は、聖書の中の人物達が問いかけ、又、時代を超えて私達にもつきつけられている課題です。
 本日は、旧約聖書の人物・ヨブが体験した不条理に注目しながら、不条理についてご一緒に考えたいと思います。