2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧

この世のことに向かう態度と礼拝に向かう態度

私自身、かつて信仰生活の初めの頃は、礼拝には半ば義務的に行っていました。しかし信仰の友の、「礼拝に出席した後には、コンサートの後の高揚感、いや、それ以上の充実感が与えられる」との言葉を聞いて、考えが変わりました。コンサートやスポーツの試合…

人の子は安息日の主

律法は、神様が憐れみを覚えられる人間の為に与えられたものです。人間が「○○を守れ」という人間の意図を含む規則に支配されるなら、それは主客逆転であり、神を神としない偶像崇拝になります。今日の旧約聖書イザヤ書58:13-14には、神に従う道とは自分の欲…

神の安息にあずかる

かつて自分がいた「神様のいない世界」では、いかに束縛と不自由の中におかれて苦しみ辛かったか、いかに一時的なものにすがっていたかを静かに深く探る時、神様の恵みにあずかってからの自分が、いかに安息を得、落ち着いた豊かな気持に満たされているかを…

イエス様は神の御子

ダビデは偉大な王でしたが罪深い一人の人間です。一方イエス様は神の御子としてこの世に来られ、洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」という御声を天から受けられました(1:11)。そして「時は満ち、神の国は近づいた…

はじめに

今日の聖書は、イエス様とファリサイ派の間に起った「安息日論争」といわれる大問題の一つです。ファリサイ派の人々は、イエス様の弟子達が麦の穂をつんで食べた行為を「収穫」(労働)とみなして攻撃しました。神様の憐れみなど豊かな恵みを伝えるのではな…

 2章23−28節

23 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。24 ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。25 イエスは言われた。「ダビデが、自分…

 58章13−14節

13 安息日に歩き回ることをやめ/わたしの聖なる日にしたい事をするのをやめ/安息日を喜びの日と呼び/主の聖日を尊ぶべき日と呼び/これを尊び、旅をするのをやめ/したいことをし続けず、取り引きを慎むなら14 そのとき、あなたは主を喜びとする。わ…

議会側の脅迫と、ペトロとヨハネの抗議

ペトロとヨハネの大胆な弁明、そして彼らが無学な普通の人であり、かつて自分達が死刑を決めた、あのイエスの仲間であることも知り、更にいやされた証人を目の前にして、議会は一言も言い返せず、結果として、これ以上伝道活動をしてはならないと脅し、禁止…

最高議会での尋問と弁明

ペトロとヨハネが引き出されたのは、71人の議員が囲む形の最高法院でした。ここには宗教上の権威だけでなく行政権、裁判権もありました。尋問は、二人が何の権威によって誰の名によって足の不自由な男の人をいやしたのか、が問われました。ペトロは、「この…

ペトロの説教とその結果

ペトロは「この人がいやされたのは、あなた方が十字架につけて殺してしまった、しかし神が死者の中から復活させて下さった、あの、イエス・キリストの名によってなされた神の業である。だから自分の罪が赦されるように悔い改めて神のもとに立ち帰りなさい」…

背景

エルサレム神殿の「美しい門」のそばで、足の不自由な40歳過ぎの男が毎日物乞いをしていました。ある日祈る為に神殿を訪れたペトロとヤコブはこの男から施しを乞われました。その時二人は「金銀は私にはないが持っているものをあげよう。ナザレの人、イエス…

はじめに

今日の聖書は大きく三つに分けられます。一つは、ペトロとヨハネが神殿で説教していた時に捕まって牢に入れられたこと。二つ目はペトロとヨハネが議会に引き出されて尋問され、それに対する二人の弁明、そして最後に議会側の脅迫と、それに対するペトロとヨ…

 4章1ー22節

1 ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。2 二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、3 二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだっ…

 146:1−10

1 ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。2 命のある限り、わたしは主を賛美し/長らえる限り/わたしの神にほめ歌をうたおう。3 君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。4 霊が人間を去れば/人間は自分の属する土に帰り/その日、彼の思…

「私達はこのような宝を土の器に納めています」(7節)

土の器とは、土のちりから造られたといわれるこの体です。宝とは「福音」あるいはすぐ前の「イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光」のことです。土と宝とは全く対立するもので、相容れないものです。宝石をそのまま土に埋める人はいないでしょう。…

神様の働きとしての復活

イエス・キリストが「よみがえられた」「復活された」という信仰は、神様がイエス・キリストの誕生と共に私達の住む歴史に入ってこられたことを信じる信仰から信じることができます。天地万物を創造し、命を支配なさる神様がイエス・キリストをこの地上に送…

復活

「霊魂不滅」という考え方があります。霊魂は体の中に閉じ込められているが、死によって霊魂は自由にされて永遠の世界に帰るという考え方です。しかし聖書はこの考え方を全く否定します。霊魂と肉体は一体であり「私の霊」とか「私の魂」という時、自分の全…

はじめに

今日はイエス・キリストの復活を記念してお祝いする日です。キリスト教大事典によると、復活日はギリシャ語ではパスカとよばれ、このパスカの礼拝は、はじめ土曜日の夕方から日曜日の明け方にかけて守られ、その中で洗礼式が行われていました。私達は復活節…

 4章7−15節

7 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。8 わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、9 虐…

 116篇1−11節

1 わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き2 わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。3 死の綱がわたしにからみつき/陰府の脅威にさらされ/苦しみと嘆きを前にして4 主の御名をわたしは呼ぶ。「どうか主よ、わたしの魂をお救いくだ…

悔い改めは罪の赦しの第一歩

ペトロは、「だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。」(19節)と迫りました。ユダヤ人のみならず全ての人は、悔い改めて神のもとに立ち帰るならば、神の赦しを受け取ることができ、その罪から解放されるのです。第二に終末と再…

預言の実現

ペトロは民衆に、このいやしの奇跡を起こされたイエス・キリストを、あなたがたは殺してしまったが、それは無知のためだった。しかしイエス・キリストのご受難は、あらかじめ旧約聖書で予告されていた神様の救いのご計画の中にあったこと、イエス・キリスト…

イエス・キリストの現臨

このいやしは、イエス・キリストに対する信仰が呼び起したものです。弟子達の信仰はイエス・キリストの言葉と行為を通して植えつけられた信仰であり、今弟子達はその信仰によってイエス・キリストに呼びかけ、イエス・キリストからいやしを受け取ることによ…

ペトロの説教

今日の聖書は、祈る為にエルサレム神殿の中に入ってきたペトロとヨハネにつきまとっている男が、エルサレム神殿の「美しい門」のそばで施しを乞うていた生まれつき足の不自由な男だと知って、人々が驚きをもってペトロとヨハネのもとに集まって来ました。そ…

はじめに

本日は、しゅろの日曜日(パームサンデー)です。ヨハネ福音書12章にはイエス様がエルサレムに来られると聞いて、大勢の群衆がなつめやし(しゅろのこと・英語では、date-palm)の枝をもって迎えに出たことが記されています。しゅろの日曜日から始まる一週間…

 3章11−26節

11 さて、その男がペトロとヨハネに付きまとっていると、民衆は皆非常に驚いて、「ソロモンの回廊」と呼ばれる所にいる彼らの方へ、一斉に集まって来た。12 これを見たペトロは、民衆に言った。「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また…

 44章21−23節

21 思い起こせ、ヤコブよ/イスラエルよ、あなたはわたしの僕。わたしはあなたを形づくり、わたしの僕とした。イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。22 わたしはあなたの背きを雲のように/罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあ…