2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧

おわりに

失楽園の選択の自由意志の問題は、一人一人の人間の尊厳にかかわり、世界文明の価値です。他方この選択の自由は、欲しない悪を選ぶゆえに、赦しと救いを必要としています。 キリストによってそのような赦しと救いと、奉仕への自由という使命と課題を私共に与…

互いに仕えなさい

その上、人間のあり方として、自由を得るために、自由を与える為に、互いに仕えなさいと勧めています。一人一人のかけがえのない自由を、「奉仕する自由として用いなさい」が結論です。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてく…

神によって召しだされていることが天職

新約聖書では、働くことについて、結果を生む働きや職業ということだけでなく、それ以前に「一人の人間としてある」という意味で、天職(コーリング)と言っています。パウロはそれを「召された自分」(1コリント7:17)と呼んでいます。神が与えている使命…

新約聖書では・・

パウロは「働きたくないものは、食べてはならない」(2テサロニケ3:10)と語っています。東北を代表する思想家の一人、安藤昌益は「耕さざるもの、食うべからず。」と言い、福沢諭吉が、裕福な家庭に生まれてもぶらぶら暮らして衣食するのは道理に反すると…

アダムとエバへの罰則

第一の罰はへびに与えられました。蛇が人間に嫌われ、呪われるものとなっていることは、古代も今日も一般的なことかもしれません。第二の罰はエバに与えられたものです。女性の出産の苦しみと、男性に従えという男性への従属性です。女性の男性への従属性が…

救う自由はない

ただ、この自由意志は、選ぶことは出来ますが(善悪について)、自分の救いについて、救いを選び出す自由は持っていません。ですから選択の自由を誤った時は、心が荒廃し、神を畏れなくなりますが、しかしそれを救う自由というのは私共にはない。これがルタ…

悪の起源

もう一つ、ここで明らかにしておきたいのは、「自分の欲する善を行わず、望まない悪を行う」人間が、なぜ神によって造られたのか、です。悪の起源についての人間の問いは昔からあり、神は人間を創造する時、悪を行わず神に従って善を行うような意志をもつ人…

選択の自由の限界

そのパウロやルターの時代よりも、17世紀のミルトンの時代よりも今日の私達の知識は豊かになり、情報が複雑、多様になり、善悪についても広く知るようになっています。それだけ私達の意志の選択が難しくなっている面があります。その難しさはとりわけ、企業…

神に感謝する

しかしパウロもルターもこの嘆きを覚えながら、キリストによる救いを与えて下さった神に感謝しているのです。「私達の主イエス・キリストを通して神に感謝しています」(25節)。自分の罪に嘆くその中で、パウロは神に感謝しています。ルターについて言えば…

楽園追放の二つの理由

この話を主題としたミルトンの「失楽園」という詩の中では、食べるなと言った神の命令があることを知りながら、食べる方を選んだ「自由意志」を問題にしています。これを選んでこれを選ばない・・。これは人間の自由意志です。その選択の自由意志、これを問…

「それを食べると、目が開け、神のように・・なる」(1:4)

なぜそれを食べたのが悪かったかということは分かりにくいのですが、考えて見ますと「これを知ると神のようになる」との言葉が重要だと思います。人間は知恵が深まり知識が増え、善悪を知るようになったことによって、人間の世界・社会が、神のように何でも…

善悪を知る

幼稚園から大学−生涯、知恵の木の実を食べる、善悪を知ることは大事で、人間にとって最も必要なことです。現代社会において幅広い教養が必要であるし、更に、善悪を教え、善悪を知るということは重要です。

追放された理由

二つの理由が記されています。一つは、善悪を知る知恵の木の実を食べたからであること、もう一つは、神が取って食べるなといわれた木の実を食べたからということです。善悪を知る知恵の木の実を食べた。食べるなといわれたものを食べた。それで楽園を追放さ…

創世記三章

ところが第三章では一転して、そのような人間が罪を犯し、罪に陥ることが記されています。最後の所で「(主なる神は)こうしてアダムを追放し」(24節)とあります。この追放というのは、アダムとエバが神に背いたということ、罪に陥ったという言い方も出来…

はじめに

創世記一章の26節から28節にかけて、大変、重要な記事があります 「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。』」そして、この人間以外のもの、海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うもの全てを支配し、治めと命じられました。人間が神…

 7章15―20節

15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。17 そして、そういうことを行ってい…

 3章1―13節、16―19節

3:1―131 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」2 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。3 でも、園の中央…

主を呼ぶ人すべてに近くいまし・・主を畏れる人々の望みをかなえ・・

私達の信仰はどうでしょうか。「この世に救いはない。主により頼むしか救われない」と、主の御前にひれ伏し、「救いの御業・恵みの御業」をいただく日々でしょうか。主は「打ち砕かれたあなたの信仰」を見ることを喜び、祝福して下さいます。詩篇145編は、倒…

信じ続けなさい

イエス様がまだ話しておられる時に、ヤイロのもとに、娘が死んだという報告が届きます。しかしイエス様はヤイロに「恐れることはない。ただ信じなさい。」と言われました。「信じなさい」の元々の言葉には、「信じ続けなさい」という意味が含まれています。…

「あなたの信仰があなたを救った。」

彼女を救ったのは主イエスの御力です。彼女の切実で、もうこれしかないと切羽詰まったその信仰、主の前にひれ伏すような全てを投げ打つ信仰によって、主の御力の一部が流れ出て彼女は癒されました。苦しい試練を耐え忍び、あきらめてしまわず、投げやりにな…

救いの御力

ヤイロの娘を助けに行く途中、聖書には、長い間、出血に苦しんでいた「長血の女」が登場します。全財産を費やして病の回復を求めますが病気は益々悪くなります。病気という身体の辛さに加え、社会からも忌み嫌われ(汚れている者。レビ記15:25−)、精神的に…

はじめに

今日の聖書は、異教の町ゲラサから、再びユダヤ教の町へ、イエス様がガリラヤ湖を渡って戻って来られたところから始まります。戻ってすぐイエス様のもとに、ユダヤ教の会堂長(会堂を管理したり礼拝の準備などをする、責任ある役職)のヤイロがやってきます…

 5章21-43節

21 イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。22 会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、23 しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうで…

 145編10-21節

10 主よ、造られたものがすべて、あなたに感謝し/あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ11 あなたの主権の栄光を告げ/力強い御業について語りますように。12 その力強い御業と栄光を/主権の輝きを、人の子らに示しますように。13 あなたの主…

私達が学ぶこと

第一に、聖霊の働きです。アンティオキア教会が、パウロとバルナバを、礼拝において聖霊の導きによって送りだしたことです。その結果、伝道に邪魔が入った時も、聖霊が豊かに働いて、神の業が現われました。第二に、当時の宗教混淆(こんこう)という時代の…

聖霊の力

二人に対抗するこの魔術師に対して、パウロは聖霊に満たされて語ります「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えな…

伝道を妨げたユダヤ人魔術師

「聖霊によって送り出されたバルナバとサウロ」(4節)は、マルコと呼ばれるヨハネを助手として連れて、初めにバルナバの出身地であるキプロス島に向かいました。最初に着いたサラミス(聖書の後ろの地図7参照)では、ユダヤ人の会堂で神の言葉を告げ知らせ…

送り出す教会

コリントの手紙には「あなたがたはキリストの体であり、また、一人ひとりはその部分です。神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気を癒す賜物を持つ者、援助する者、管理…

はじめに

使徒言行録13章と14章には、使徒バルナバとパウロがアンティオキア教会から伝道旅行に送り出されたこと、そして各地でどのように伝道がなされていったのかが記されています。 今日の聖書の1節から3節には、アンティオキア教会でリーダー的な存在であったと思…

 13章1-12節

1 アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロ…