悪の起源

 もう一つ、ここで明らかにしておきたいのは、「自分の欲する善を行わず、望まない悪を行う」人間が、なぜ神によって造られたのか、です。悪の起源についての人間の問いは昔からあり、神は人間を創造する時、悪を行わず神に従って善を行うような意志をもつ人間を造るべきではなかったかという問いです。その問いに対する答えは長い歴史があります。結論だけを申しますと、例えば20世紀に出現したスターリンヒトラー全体主義の国家がしたように、いかなる反論も許さない。政治・信教・結社の自由がない人形のような人間と社会を、神は欲しなかった、ということがいえると思います。まさに人間に与えた自由意志によって、神は人間に尊厳を与えたのではないでしょうか。人間に選択の自由意志を与えることによって、初めて個性、その人自身の人格などが与えられたのではないかと思います。神が一律にスターリンヒットラーのように、神の命令に一斉に従い、一斉になびくような、選択の自由意志のない人間を造ったとすれば、これこそ大変な社会−人形の社会になったと思います。選択の自由意志を持つ人間として造られたことは、そこに良心の自由、自由意志があり、それによって人間の尊厳、私自身の性格・特性・人格など・・が与えられていると見ることが出来ます。