2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

新しい民として

イエス様は断食しない理由を、御自身を婚礼の「花婿」に、弟子達を「婚礼の客」に譬えました。そしてイエス様が奪い去られる日が来ること(受難の預言)、その時には「断食することになる」と預言されました。 今日の箇所は、イエス様が、古いユダヤ教の形式…

「断食」

今日の聖書では、バプテスマのヨハネの弟子達と律法遵守の形式主義者ファリサイ派のグループが断食しているのに、断食を表立ってしていないイエス様の弟子達の行動の根拠を、人々が指導者イエス様に質問する形で「決められた形を守らないのは間違っている!…

受難節と洗礼

受難節と洗礼は、歴史的に密接な関係がありました。古代教会において、洗礼は一年に一度、復活日(イースター)のみに行われてきました。福音を知らずに死の世界にいた罪人が、イエス様の贖いを通して神様のもとに新たに生きるようになり、神様中心の教会を…

はじめに

今日は受難節第5主日です。この受難節に入ってから、週報の報告欄にいつも「克己・修養・悔い改めの期間として過ごしましょう。」とあります。「克己」は文字通り己に克つことです。罪に引きづられてしまう自分の弱い部分の克服に努めること、食欲・性欲・…

 2章18−22節

18 ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」19 イエスは言われた。「花婿…

 58章3−7節

3 何故あなたはわたしたちの断食を顧みず/苦行しても認めてくださらなかったのか。見よ、断食の日にお前たちはしたい事をし/お前たちのために労する人々を追い使う。4 見よ/お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし/神に逆らって、こぶしを振る…

私へのメッセージ

私達すべてのものは霊的な意味で、生まれながら歩けない足を持ったようなものではないか。そして本当に願うべきことは「歩く」ことなのに、いつしか歩くことを願わずに、ささやかな施しで満足してしまうような、この男の人と同じような状況にあるのではない…

人々の驚き

10節には、これを見た人々が「我を忘れるほど驚いた」とあります。神様の業はまさに驚きの連続です。私達人間のなしえないことを私達の創り主であられる神様はなさることがおできになります。この信仰が、ここにおられる私達すべてのものに与えられることを…

大きな賜物

男が求めたものはささやかな施しでしたが、目を合わせて見つめた後に与えられたものは施しよりもっともっと大きな、彼にとって一番必要とする「命令」でした。「歩きなさい」という命令そのものが大きな賜物だったのです。ペトロが、イエス・キリストの全権…

「イエス・キリストの名によって」

「イエス・キリストの名前で」ということは、名前の中に神様の人格的な力があって、名前を呼ぶことによりその力が引き出されるのです。弟子達がイエス・キリストの名前で行動する時、イエス・キリストがそこにおられるのです。洗礼も又、イエス・キリストの…

「美しい門」で。

午後3時、ペトロとヨハネは祈る為にエルサレム神殿に上っていきました。二人が神殿の境内に入ろうとした時、お金を恵んでほしいと、憐れみを乞う男の声を聞きました。ペトロとヨハネは男の顔をじっと見て、「私達をみなさい」と命じました。男は何かもらえる…

祈り

一日三回祈るということは、一日最低三回は神様を仰ぎ見る時間を持つということです。社会で働いておられる方々は、朝起きた時から夜寝るまで追われるように次から次へと休みなく体を動かしておられることでしょう。しかし忙しくしているといつしか神様が自…

はじめに

捕虜として連行されたダニエルは、捕囚の地・バビロンでも毎日三度、祈りと賛美の時をもっていました。今日の聖書には、ペトロとヨハネが午後3時の祈りの時に神殿に上って行ったとあります。ペンテコステの日、弟子達が一つに集まっていた時に聖霊が降りま…

 3章1−10節

1 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。2 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。3 彼はペトロとヨハネが…

 6章1−11節

1 さて、王国を継いだのは、メディア人ダレイオスであった。彼は既に六十二歳であった。2 ダレイオスは、王国に百二十人の総督を置いて全国を治めさせることにし、3 また、王に損失がないようにするため、これらの総督から報告を受ける大臣を三人、その上…

今日がチャンス

私達も、今日、今、という時を逃してはなりません。闇の行いを脱ぎ捨てて主イエス・キリストを着ようではありませんか! 光の衣を着ようではありませんか! 光の武具を身に着けようではありませんか!キリストにふさわしい清い生活を始めたいと思います。 「…

アウグスチヌスとフェリクス総督

4−5世紀にかけて活躍したクリスチャンの指導者にオーガスチン(アウグスチヌス)がいます。彼は若くしてローマの大学の教師になりましたが、一方、放蕩の不道徳の若者でもありました。母モニカは、彼の為に祈りに祈りました。彼女は「涙の子は滅びない」とい…

イエス・キリストを身にまとう

キリスト教は消極的な宗教ではありません。捨てるだけではなくてイエス・キリストを着ていきたいと思います。クリスチャンは天国の市民です。天国にふさわしい服を着たいと思います。私達が結婚式に行く時、それにふさわしい服を着ます。天皇陛下のお茶会に…

それから?

闇の世界から侵入してくる「闇の行ない」を脱ぎ捨てました。それからどうするのでしょう。これでは禁欲主義になってしまいます。「あれをするな、これをするな」では、面倒な消極的な宗教になってしまいます。14節では「主イエス・キリストを身にまといなさ…

重荷と罪

信仰生活にブレーキをかける重荷とは何でしょうか。毎日聖書を読む、ということが重荷という人もいるかもしれません。又、教会やクリスチャンを取り巻く外の世界は闇の世界です。クリスチャンも知らず知らず、だんだんこの世的になってきます。少しずつ闇の…

夜は更け

どうしてクリスチャンの世界、生活に闇の行ないが入ってくるのでしょうか。12節に「夜は更け、日は近づいた。」とあります。パウロの時代判断ではクリスチャンは今、夜の時代に生きています。クリスチャンは世の光、光の子供です。光が弱くなると、闇はクリ…

闇の行いを脱ぎ捨てる

それでは起きてどうするのでしょうか。12節を見ると、「だから闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。」というのです。まるで私達が闇の行ないにかかわっているような言い方をしています。私達クリスチャンは闇の行ないなど関係ない。これは神様…

眠りから覚めよ

今はどのような時でしょうか。パウロは「眠りから覚めよ」といいます。ということは、私達は今、現在、眠っていることを意味しています。私達が勉強したりテレビを見ていると目が重くなる時があります。使徒言行録20章9節には、エウティコという青年がパウロ…

ロマ書13章11節の「今」

今日の聖書でも「今」が大切だといっています。「あなたがたは 今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、私達が信仰に入った頃よりも、救いは近づいているからです。夜は更け、日は近づいた。」救いが…

はじめに

ある本にこんな記事がありました。一人の青年がふしだらな生活にピリオドをうって、神様を信じて新しい人生に入りたいと思いました。ところがそのことを知った悪魔たちが集まり、そのことを阻止しようと作戦会議を開きました。悪魔の手下Aは、「罪の快楽を…

 13章11−14節

11 更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。12 夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光…

 28章15節

15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」

教会の四つの仕事

彼らは、使徒の教えを学び(キリストを通してあらわされた驚くべき神様のわざについて学び)、信仰による交わり、「パン裂き」(聖餐式と愛餐会)そして熱心に祈りました。これこそ、私達教会の群れのするべきことです。

神が招く者すべてに与えられる約束

この約束は、時と場所を超えて、悔い改めて洗礼を受けるすべての人、「神様が招いて下さる者(主の名を呼び求める者・21節)」なら誰にでも与えられています。さらにペトロは「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧告しました。救われなさいとは罪と悪から…

ペトロの明快な答

ペトロの答えは「悔い改める」ことと「洗礼を受ける」でした。悔い改めとは、それまで生きてきた生き方の向きを変えて新しく生きる。神のいない世界から神のいる世界に生きるようになる。自分の中にある「主人の座」を神様に明け渡すということです。そして…