イエス・キリストを身にまとう

 キリスト教は消極的な宗教ではありません。捨てるだけではなくてイエス・キリストを着ていきたいと思います。クリスチャンは天国の市民です。天国にふさわしい服を着たいと思います。私達が結婚式に行く時、それにふさわしい服を着ます。天皇陛下のお茶会に招かれた人は、それにふさわしい服装をします。エプロン姿や作業服で出席する人はいません。

 天国の市民にも天国にふさわしい服装があります。それがキリストの衣、キリストが与えて下さる衣です。キリストの衣とはキリストにふさわしい生活のことです。暗闇の世界の影響を受けた私達の衣は、少しずつあちこちにしみがついたりほころびたり、破れたりしているかもしれません。イエス様から新しい衣をいただく必要があります。ヨハネ黙示録3:18でラオディキアの教会の人達は、自分達は豊かで満ち足りていると考えていましたが、神様の診断は違っていました。「あなた方は裸だ。裸の恥をさらさないように、身につける白い衣を買いなさい」と忠告されました。

 「白い衣」とは清い生活のことです。又、ヨハネ黙示録6:11では、天国で殉教者に「白い衣」が与えられました。キリストを着る。キリストの衣を着る。それは清い生活のことです。イエス様が下さる白い衣は、闇の中では光の武具となるのです。光の武具を身につけるとは、「キリストを身にまとう」と同じことです。フィリピ書2:15−16に「よこしまな曲った時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」とあります。イエス様の下さる衣は、内に対しては霊的命を守り、外に対しては輝くのです。