2014-01-01から1年間の記事一覧

死に至るまで従順に生きる。

イエス様は、「十字架の死に至るまで従順でした」(8節)。イエス様は、神様から強いられてではなく(「神であることに固執しようとは思わず」6節)、ご自身の御意志によって、最後まで神様に従い通されました。「あなた方は、私達の主イエス・キリストの恵…

「へりくだって」

神の御子が神の身分を捨てて、私達と変わらない人間となられたことは、それだけで「へりくだり」の生涯ですが、さらにご自分を高い地位に置くことをせず、徹底してご自分を低くされました。一般社会の人々よりもさらに低く、公の生涯に入られてからは、ひた…

イエス様とは誰で、何をされたお方か。

今朝のフィリピ書には、私達が信じるイエス様はどういうお方であるかが述べられています。6節に、「神の身分でありながら」とありますから、イエス様は神です!7節に、「自分を無にして、人間と同じ者になられた」とあります。神が、私達と同じになる・・!…

受難週

エルサレム入城後、イエス様はユダヤ教の指導者達から遣わされた人々によって捕えられ、ユダヤの最高議会で裁かれて死刑が宣告され、更に、ローマ帝国からの許可をとるためユダヤ総督ピラトのもとに送られ、死刑が確定し、わずか6日後の金曜日に十字架刑で殺…

はじめに

今日は、「しゅろの聖日(主日)」です。今日から受難節の、最後の一週間が始まります。イエス様がエルサレムの町にロバの子に乗って入城された時期、ユダヤでは「過越しの祭り」(ユダヤ教の三大祭の一つ)のため、大勢の人々がエルサレムに集まっていまし…

フィリピ2:5−11

イザヤ書53:1−5

人間の肉体をとって世に来られたイエス様

主の埋葬には様々な人物が関わりましたが、最も思い起こすべき御方は、私達の救い主イエス・キリストです。イエス様は、神の御子でありながら、へりくだって人間として歩まれたことに感謝したいと存じます。ご誕生の時も旅先の家畜小屋の飼葉桶に寝かされる…

マグダラのマリアとヨセの母マリア

主の十字架上での壮絶な死と埋葬を見守り続けたのは、主に従ってきた女性達でした。彼女達はユダヤ社会の律法では、希望を持つことができない者達でした。しかし、主の福音に照らされると、女性であるいう条件は、何の障害にもならなくなりました。主を信じ…

ピラトと百人隊長

イエス様の埋葬を巡って、十字架刑の判決をしたローマ帝国総督のピラトと、部下の百人隊長が再び登場します。ピラトは最後までイエス様の不思議さに捉われながら、神の御子と認めませんでした。一方の百人隊長は、イエス様を「神の子」と既に信仰告白してい…

主の十字架刑でも希望を失わなかったヨセフ

弟子達が主の十字架刑が現実のものとなった時に絶望してしまったにもかかわらず、アリマタヤのヨセフは「神の国を待ち望む」希望を捨てませんでした。このことも神様は受け取られたのでしょう。主は、至らないところを裁く方ではなく、僅かばかりの良いとこ…

アリマタヤのヨセフの働きと神様の御計らい

有力議員ということは、地位に伴い、多くのお金も持っていることになります。そのような者は、多くの場合は思い上がっており、それをひたすら自分のために用いるために、神様からの祝福がないのです。しかし、この時、アリマタヤのヨセフは、富も地位も自分…

はじめに

今日の新約聖書箇所では,私達の主イエス・キリストの遺体の埋葬の様子が詳しく証しされています。十字架の少し前のイエス様逮捕の時から、ぺトロを初めとする「弟子達」は逃げ去りました。彼らとは違った人物として、アリマタヤのヨセフの働きが新たに記されて…

マルコ15:42−47

イザヤ5:8−16

「どのような時にも、霊に助けられて祈り」

今日の後半では、「どのような時にも」祈ること、すべての信仰者の為に、絶えず目を覚まして根気よく祈るように命じています。更に、手紙の差出人パウロが、適切な言葉で福音の神秘を大胆に示すことが出来るように祈って欲しいと頼んでいます。信仰の戦いは…

戦うための武具

そこで今日の聖書は、やみの支配者と戦う武具を、神様は私達のために用意して下さっていることを教えています。ここには、『真理』『正義』『平和の福音』」『信仰』『救い』『霊すなわち神の言葉』が挙げられています。真理も正義も、人間が理論的に捉える…

罪が支配するこの世

今、私は「罪が支配するこの世界」と申しました。毎日流れてくるニュースには、「何でこのようなことが」と思える事件・事故が次々と起こり、犯罪・戦争・憎しみや恨みから生まれる暴力や殺人などが横行しています。本来助け合うべき家族の中にも亀裂が生じ…

十字架による「罪の赦し」と「神様との和解」

神様と私達を遠く隔てていた「私達人間の罪」を赦し、断絶していた神様と私達人間との交わりを回復する為に、神様は、御子イエス様を私達に遣わして下さいました。イエス様は全人類の罪を背負い、私達が負わねばならない罪の結果としての罰を引き受け、十字…

はじめに

私達は、世界をつくり、私達に命を与え、私達を日々生かして下さっている神様から毎週の礼拝に招かれてここにいます。本来私達はこのような恵みにあずかることの出来ない者たちです。なぜなら私達は自分を見ればわかるように、神様の愛・神様の正義・神様の…

エフェソ書6:10−20

エレミヤ書2:1−13

神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた

この垂れ幕は、神様の臨在を象徴する「契約の箱」が置かれている「至聖所」と祭司達が奉仕する「聖所」の間を仕切るものです。年に1度だけ、大祭司が垂れ幕を通って至聖所に入ることを許され、動物のいけにえを捧げて、イスラエルの人々の罪の贖いをしていま…

なぜわたしをお見捨てになったのですか

十字架上では、最期にイエス様の大きな叫びがありました。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」。 主がなぜこの言葉を言われたのか、本当の御心を知り尽くすことはできませんが、二つのことが推測されます。一つは、この御言葉が詩編22…

全地は暗くなり(33節)

イエス様が十字架につけられたのが午前9時(15:25)で、今日の聖書には、その3時間後の正午、真昼間に真っ暗になるという天変地異が起こったことが記されています。これは天の父なる神様の御心が悲しみで暗くなったことを象徴的に表しているように私には思…

はじめに

今年の受難節(レント)は3月5日の水曜日から始まりました。初日の水曜日は特別な日で、「灰の水曜日」”Ash Wednesday”と呼ばれています。聖書で「灰」は、懺悔や深い悲しみ・嘆きを表わします。「灰をかぶる」とは、心からの深い悔い改めの思いを抱いている…

マルコ福音書15:33−38

詩編22:1−24

「これほど大きな救い」

今日のヘブル書の3節に「これほど大きな救い」とあります。具体的には、終末における裁きの時、神様を信じて従った者達に約束されている「永遠の命」をさします。この救いは、イエス様から弟子達に、更に御言葉を聞いた全ての人々に、確かなものとして証しさ…

救いの御計画

ヨナは暑い日差しに苦しめられます。そこで神様はヨナのために、とうごまの木を生えさせ日陰をつくりヨナを日差しから守りました(とうごまの茎の高さは4mにもなり、大きな葉っぱが交互に出て日陰を作る)。ヨナはとうごまの木をとても喜びますが、翌日、神…