なぜわたしをお見捨てになったのですか

十字架上では、最期にイエス様の大きな叫びがありました。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」。
主がなぜこの言葉を言われたのか、本当の御心を知り尽くすことはできませんが、二つのことが推測されます。一つは、この御言葉が詩編22編の冒頭の言葉であることです。22編は、ダビデが敵に囲まれた苦しい状況を神様に訴えて助けを求める祈りで始まり、最後は、神様は絶対助けて下さるお方であり、自分のみならず世界中に、後々まで恵みの御業を広めて下さる、との賛美で終ります。イスラエル男子は幼い頃から詩編150編を全て暗記するように教育されていたとのことで、おそらく22編の冒頭を聞けば22編全体が想起されたことでしょう。イエス様はこの時、ご自分の思いを詩編22編に載せつつ、父なる神様への揺るぎない信頼と従順を表明されたと考えられます。もう一つ考えられることは、父なる神様が、御子イエス様を見捨てることを、涙をのんで実行されたということです。罪を犯されなかったイエス様が、罪を背負い罪多き罪人と同じになられました。罪とは神様に背くこと、神様から遠く離れること、神様に従わないことです。神様のいない世界に行くことを望むことです。それは神様の豊かな恵みを拒否して、神様から見捨てられることです。イエス様は、罪人の受けるべき十字架で身体的には瀕死の状態となり、精神的にも人々からの嘲りなどの屈辱の中で徹底的に痛めつけられて、神様から見捨てられた状況(人間として最も悲惨な状況)に置かれたのです。それでもイエス様は死に至るまで従順でした。