2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ロマ書8章12−17を通して

神様は愛のゆえに、私達を愛して下さるから独り子イエスをこの世に送って下さいました。神様の人間に対する一方的な恵み、憐れみによって私達は救われたのです。私達は主イエス・キリストによって神様の子になりました。私達は神様の子として、父なる神の相…

「主の霊」が臨み、「神、共にいます」にもかかわらず・・

エフタをイスラエルの頭にしたのは、人間の業を通して働いて下さる神様のご計画によるものでした。エフタに主の霊が臨み、エフタも主が自分とイスラエルと共におられるのを確信していました。それなのに、あまりの不安に、「神様、私がこのようにしますから…

信仰の中の不信仰

今日、この話が私達に示して下さることは何でしょうか。 勇士エフタは、だんだん敵の兵が近づいてくるのを見ながら、「神様、あなたがアンモン人を私の手に渡して下さるなら、・・の者を献げます」と祈りましたが、この祈りには、主の助けを信じていながらも…

エフタの誓い

エフタは兵を集めます。その時エフタは主に誓いを立てています。 「もしあなたがアンモン人を私の手に渡してくださるなら、私がアンモンとの戦いから無事に帰るとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその者を、焼き尽くす…

指導者として立つ

このように、遊女の息子として、差別や無視の対象であったエフタは、イスラエルを導く指導者になりました。人間は外面を見て、その人達の出身や持っているものを見ますが、神様はその人の心の中心を見ているのです。ギレアドに戻ってきたエフタは、まず主の…

ギレアドの長老達

しばらくしてアンモンの人々が、イスラエルに戦争を仕掛けてきました。危険にさらされたギレアドの長老達は、エフタを連れ戻そうとやって来ます。「帰って来てください。私達の指揮官になっていただければ、私達もアンモンの人々と戦えます。」(6節)を見る…

ギレアドの人、勇者エフタ

今日聖書に出てくるギレアドのエフタは「勇者であった」(11:1)と書かれています。しかし彼は両親の正式な結婚生活の中で生まれた人ではなく、母は遊女でした。当時においては罪人のように無視された女の人から生まれた、そのような背景を持っている人でし…

試練の意味

皆さんが人生を歩んでいる内に様々な試練に会う。何か上手くいかない。問題が続く。その時はそこに神様の御手が働いておられる。もし、そのまま神様から離れて遠く行くとそれは滅亡の道なので、神様に立ち帰るように。そこにはもっと大きな祝福と恩寵が待っ…

士師記

イスラエルは、エジプトの奴隷の生活を400年間強いられ民は苦しんで神様に叫びました。神様はその叫びを聞き、モーセを通してイスラエルの人々をエジプトから解放しカナンの地に導きました。イスラエルの人々はさまざまな奇跡を味わい、荒野での生活を通して…

はじめに

教会の本棚を整理する内に、「神様への手紙」というアメリカの小さな子供達が神様に手紙を書いた、小さな童話のような本2冊を見つけました。「神様、前にも手紙書いたよね。覚えてる? さて、僕は約束したことはちゃんとやりました。でもあなたは、まだ僕に…

8章12−17節

12 それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。13 肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは…

11章29−40節

29 主の霊がエフタに臨んだ。彼はギレアドとマナセを通り、更にギレアドのミツパを通り、ギレアドのミツパからアンモン人に向かって兵を進めた。30 エフタは主に誓いを立てて言った。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、31 わ…

私達へのメッセージ

今日の聖書に登場したファリサイ派や律法学者達と、現代の私達が陥りやすい共通点は何でしょうか? それは「信仰の形骸化」、形式主義です。日曜日の礼拝を例として考えてみましょう。 日曜日に教会に集い、礼拝を捧げる本来の目的は、創造主であり、私達に…

清いものと汚れたもの

イスラエルの人々には、食べてよい物(清い物)と、食べてはいけない物(汚れた物)の区別が明確に規定されていました。(参照:レビ記11章)。彼らは自分を清く保つ為に、清くないものと言われるものは口にしませんでした。それに対してイエス様は、「口か…

「人から出て来るものこそ、人を汚す」

それから、イエス様は再び群衆を呼び寄せて、新しい「神様の言葉」を教えられました。それは「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出てくるものが、人を汚すのである。」(15節)です。群衆と別れた後、弟子達はこのた…

はじめに

今日の聖書は、当時、イスラエル社会で尊敬されていたファリサイ派と律法学者達が、イエス様の弟子達のあり方を見て、イエス様が、間違った教えを説いているとし、糾弾しようと質問したところから始まります。イエス様は彼らの質問に対して、旧約聖書の「イ…

7章1−23節

1 ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。2 そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。3 ――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝え…

29章13−16節

13 主は言われた。「この民は、口でわたしに近づき/唇でわたしを敬うが/心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても/それは人間の戒めを覚え込んだからだ。14 それゆえ、見よ、わたしは再び/驚くべき業を重ねて、この民を驚かす…

「悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)

私達がイエス様を信じ、イエス様に従うことは、古い世界との決別を意味します。銀貨5万枚相当の書物を焼失しても尚、価値ある福音とは、この悪の世から私達を救い出し(ガラテヤ1:4)、真理の道に導き、永遠の命を与える力を内に秘めています。全財産を投…

罪の告白と、それに伴う実践

福音が入っていくところでは「罪の告白」が生れます。生れながらの人間は例外なく告白すべき罪を持っており、福音を聞く時、その犯してきた罪を神様の前に告白して罪の赦しをいただくことで、信仰生活のスタートをきります。ここでは多くの魔術や呪術を行っ…

「イエスのことは知っている。だが、お前たちは何者だ」(悪霊の言葉)

さて本日の聖書では、ユダヤ人の祈祷師達の出来事が書かれています。ユダヤ人の祈祷師とは、ユダヤ教の信仰を捨て、おまじないをする者として各地を巡り歩いていた人々です。パウロの「イエス・キリストの名による奇跡」を見た祈祷師達は、「イエスの名」を…

「死」について

「死」については、聖書はどう語っているのでしょうか。ロマ書には、「罪が支払う報酬は死です」(6:23)とあり、私達が死ぬのは罪の結果であると教えています。さらに、「私達は、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます…

終戦記念日(敗戦記念日)

私達は8月の第一日曜日を「平和聖日」として、「平和」について学びましたが、今日は8月15日ですので、「戦争」と「死」について、少し考えたいと思います。 イエス様の教えの根本は、神を愛することと隣人を愛することですから、愛から戦争が生れることはあ…

 19章11−20節

11 神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。12 彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。13 ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊ども…

 48章17−19節

17 イスラエルの聖なる神/あなたを贖う主はこう言われる。わたしは主、あなたの神/わたしはあなたを教えて力をもたせ/あなたを導いて道を行かせる。18 わたしの戒めに耳を傾けるなら/あなたの平和は大河のように/恵みは海の波のようになる。19 あ…

伝道に遣わされる者

私達の洗礼は、「父なる神と子なる神と聖霊なる神の御名」によって授けられます。信仰告白と洗礼は「神の業」であり、教会はその「業」を委託されています。伝道の担い手は、テント職人のアキラ夫婦が、アポロに自分達の信じる福音を伝えたように、すべての…

主イエスの名による洗礼(5節)

パウロと出会った人達はパウロの言葉を受け入れて、今度は、「主イエスの御名」によって洗礼を受けました。彼らはこの時、主イエスへの信仰と、洗礼と、聖霊の賜物についてパウロから学んだことでしょう。そしてパウロが彼らの上に手を置くと、彼らに聖霊が…

「信仰に入った時、聖霊を受けましたか」

アポロがエフェソを去った後、パウロがエフェソに到着して何人かのキリスト者に出会い、彼らに一つの質問をしています。それは、「信仰に入った時、聖霊を受けましたか」という質問です。彼らは「聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と答えました…

主イエスを神の子・救い主と信じる信仰

アポロが「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」とはどういうことでしょうか。19章4節で、パウロはこのように言っています。 「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」 悔い改め…

はじめに

パウロは第二回目の伝道旅行からアンティオキアに戻ったあと、再び、第三回目の伝道旅行に出かけて行きました。パウロがエフェソに到着する前に、アポロという聖書にくわしい雄弁家がエフェソに来て、伝道していました。「彼は主の道を受け入れており、イエ…