2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

永遠の命に至る水

イエス様は女性に対して、「あなたが神の賜物のことを知っていたら」、「あなたが、私が誰であるか知っていたら」(10節)、あなたの方から私に水を下さいというでしょう」と言われました。「神の賜物」も「私」も、イエス様のことです。誰でもイエス様を知…

サマリヤ人の女性

イエス様は旅に疲れて、昔、族長ヤコブが掘ったという井戸の傍に座られました。時は暑いお昼、弟子達は食料を買いに出かけていました。そこにサマリヤ人の女性が井戸の水を汲みにやって来ました。ここで聖書は私達に驚くべき出来事を伝えます。 イエス様がサ…

ユダヤ人とサマリヤ人

今日の聖書は「イエス様とサマリヤの女」の前半部分です。イエス様は、ユダヤ地方で宣教活動をしておられましたが、ファリサイ派の人達との無用の論争を避ける為に、ユダヤを離れてガリラヤに向かわれました。ユダヤからガリラヤに行く近道は、サマリヤを通…

はじめに

週報の右上にありますように、本日の礼拝がこの伝道所において500回目に当たることを覚えて神様に感謝致します。第一回目の礼拝は、2002年12月1日でした。それから毎週日曜日、休むことなく礼拝が守られてきたことは、ただただ神様の恵みと導きによるもので…

ヨハネ福音書4:7−15

詩編84:2−8

永遠の命に至る水

イエス様は女性に対して、「あなたが神の賜物のことを知っていたら」、「あなたが、私が誰であるか知っていたら」(10節)、あなたの方から私に水を下さいというでしょう」と言われました。「神の賜物」も「私」も、イエス様のことです。誰でもイエス様を知…

サマリヤ人の女性

イエス様は旅に疲れて、昔、族長ヤコブが掘ったという井戸の傍に座られました。時は暑いお昼、弟子達は食料を買いに出かけていました。そこにサマリヤ人の女性が井戸の水を汲みにやって来ました。ここで聖書は私達に驚くべき出来事を伝えます。 イエス様がサ…

ユダヤ人とサマリヤ人

今日の聖書は「イエス様とサマリヤの女」の前半部分です。イエス様は、ユダヤ地方で宣教活動をしておられましたが、ファリサイ派の人達との無用の論争を避ける為に、ユダヤを離れてガリラヤに向かわれました。ユダヤからガリラヤに行く近道は、サマリヤを通…

はじめに

週報の右上にありますように、本日の礼拝がこの伝道所において500回目に当たることを覚えて神様に感謝致します。第一回目の礼拝は、2002年12月1日でした。それから毎週日曜日、休むことなく礼拝が守られてきたことは、ただただ神様の恵みと導きによるもので…

ヨハネ福音書4:7−15

詩編84:2−8

マルコ福音書12:35−37

*はじめに 今日の聖書箇所直前で、イエス様は、律法学者から質問を受けて、最も重要な掟「主なる神様を全身全霊で愛すること、そして、隣人を自分のように愛すること」について教えられています。「神様の愛」は、愚かで弱い私達人間が神様からの愛に答えら…

詩編110:1−7

私達の生きる道

私達は今日の聖書を他人事として聞くならば、それこそサタンの思う壷です。サタンは、人間を、この世の出来事や自分の利益のことで頭を一杯にさせて神様を忘れるように仕向け、自分の罪を認めることから遠ざけ、又、自分と同じ罪に他人を引きずりこむような…

メシアの働き

ユダヤ教の有力者達は「メシアは、ローマの支配下で虐げられている自分達を解放し、ユダヤ人国家を作る政治的な王」と考えていました。しかしイエス様が説く「メシア」は、先ず「霊的な救い」を成し遂げる役割でした。サタンの支配下に陥っている人間の苦し…

メシアの預言

イエス様は、学者達が重要視しているダビデを引き合いに出しながら、「詩編110編」を引用されました。神の霊を受けて書かれたこのダビデの賛歌は、「三位(父・子・聖霊)一体の神」を証ししています。36節の最初の「主」は「父なる神」を指し、「わたしの主…

イエス様への誤解

イエス様に質問した律法学者は、イエス様の言われることを良く理解したので、その知識においてイエス様は「あなたは神の国から遠くない」(34節)と言われました。が、彼は、「あなたは神の国に入る」とは言われていません。おそらく彼は、イエス様を信じて…

はじめに

今日の聖書箇所直前で、イエス様は、律法学者から質問を受けて、最も重要な掟「主なる神様を全身全霊で愛すること、そして、隣人を自分のように愛すること」について教えられています。「神様の愛」は、愚かで弱い私達人間が神様からの愛に答えられなくても…

マルコ福音書12:35−37

詩編110:1−7

「永遠」と出会っている世界の日常を生きる

しかしこの日常の中で、かろうじて永遠をみつめながら生きているというものではありません。そうではなくて、「永遠」とすでに出会っている世界、そして日常を生きているということです。そのことを自覚したいと思うのです。私達がこの世界で造り出すこと、…

私達の日常

では、私達にとっては日常とはどのようなものでしょうか。私達の日常とは、灰色の、平凡でつまらなくて、そういうことの繰り返しである・・そんなことなのでしょうか。そうではないと考えます。 信仰者の日常は、そうではなく、「主の教えを愛し、その教えを…

私達は今日の聖書から何を聞くか

このように旧約聖書においても、新約聖書においても、神に従う者と、神に逆らう者の姿は対照的な姿として描かれており、そしてその生き方の招く結果が描かれています。そのような聖書の箇所を、今日の私達はどのように読むか、どのような意味を聖書は今日の…

マタイ福音書では

新約聖書では、マタイ福音書5章で、神に従う者の姿がくわしく描写されています。神に従う人は、「心の貧しい者、悲しむ者、柔和な者、義に飢え渇く者、憐れみ深い者、心の清い者、平和を実現する者」、そういう者達であり、そういう者達が受ける結果は「天の…

生き方が招く結果

神に従う者の結果は「流れのほとりに植えられた木。時が巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(3節)というのです。対照的に、神に逆らう者の生き方の結果は、「風に吹き飛ばされるもみ殻。神に逆らう…

二種類の人間

詩編一篇を概観してみますと二種類の人間・・神に従う者と神に逆らう者、その両極端の人間が対照的に描かれていることに気が付きます。 最初に、神に従う者が描かれています。「神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共…

はじめに 

詩編は150の詩から成り立っています。150もありますから、内容も様々です。たとえば困難な状況に置かれた詩人が、その状況を神に嘆き訴える詩、信仰の確信を表明したり、神を賛美したりする詩、又心の底から絞り出す願いを神に叫び求める詩など幅広い内容と…

マタイ福音書 5:1−12  

詩編1:1−6