私達は今日の聖書から何を聞くか

このように旧約聖書においても、新約聖書においても、神に従う者と、神に逆らう者の姿は対照的な姿として描かれており、そしてその生き方の招く結果が描かれています。そのような聖書の箇所を、今日の私達はどのように読むか、どのような意味を聖書は今日の私達に与えてくれるのか、ということです。私達はこのような聖書の箇所を読んで、何を教えてくれるのか、ということです。
さまざまなことが教えられることですが、その内の一つを私達は教えられたいと思うのです。それは、私達は「日常をどう生きるか」ということです。さきほど旧約聖書新約聖書を見ました。特に旧約聖書の、詩編の第一篇の詩人の課題は、「悪意ある計画を計る者、神から外れて歩む者、神をあざ笑う者達と共なる生き方、そういう日常をどう生きるか、ということが問題であったと思われます。マタイ福音書の課題は、「ののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられることが少なからず起きた日常において、自分達はどう生きるかとういうことが問題であったのでありましょう。詩編の注解を記したカルヴァンの課題は、宗教改革に反対する者達の意見や迫害にさらされるそんな日常に、教会の徳を高めるために、どう生きたら良いかということでありました。
いずれの時代においても、日常における信仰者の葛藤が描かれているのです。