2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

私は何者か

私達は問題があって牧師に相談する時、牧師はいつも「共に神様に祈りましょう。神様の愛と恵みを信じましょう」。いかに偉い先生に言っても答えはこれだけです。人間の手には何も出来ないからです。共に祈ることによって、生きておられる神様が働いて下さる…

イエス・キリスト

神の独り子イエス・キリストが見える形で、人間になって、私達の所に来て下さった。神様が見える形で、私達の人間歴史の現実に来られた。言葉が肉となった。私達が聖書を読んでこの説教を聞いて、神様の御言葉を聴きますが、それが見える形になることを私達…

主にのみ、望みを置く

詩編の作者は言います。「主にのみ、私は望みをおいていた」(40:2)。そうです。主にのみ私達には望みがあるのです。時々フィギュアスケートの選手やスポーツ選手達の試合前のインタビューで「勝つ自信がありますか」という質問に「私を信じて行きます。」…

私の努力ではなく、イエス・キリストを信じる信仰のみによって

私は無力で、弱くて、いかに真実に生きていこうとしても出来ない。神様のことを深く理解して、神様の前で自分なりに欠けがないような信仰告白をして、洗礼を受けようと考える。しかしそれではいつまでも出来ないのです。私に「とにかく洗礼を受ければいいよ…

もう一つの法則

使徒パウロは、ロマ書7章15節で「私は、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです 」と言っています。これは「私が憎んでいることなのにやってしまった」ということです。私も時々、ある人の行為…

オウム真理教や統一教会に向かう人達

オウム真理教や統一教会に惹かれる人達がいます。(キリスト教徒の中でも、彼らを導き出す為の活動をする方々がいます)。私達から考えてみると、とんでもない、なぜあんなところに惹かれるのか。愚かな人達のように思われます。しかし大学を卒業して、又、…

悲しみのあとの癒し

皆さんは今、幸せな中で生きている方もおられると思いますけれども、そのような人達も、悲しい演歌やいろいろな歌(クラシック音楽なども)を通して悲しい歌や音楽を聴くと、何となく私達の心が深くその悲しみに沈みながら、自分が癒されるような気持になる…

私達は神のかたちに似せてつくられた

創世記1章26節に、神様はこの世をすべて創造され、人間を造ろうとした時、「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」とおっしゃることから始まったことが記されています。私達…

罪に気付く

ある日、教会で一生懸命祈っている時、聖霊が自分の上に注がれるような体験をしました。自分が祈るのではなく、何か、神様によって導かれて自分が祈っているような不思議な体験でした。その時、私の心の中で(頭の中で)浮かび上がったのは自分が犯してきた…

再び教会へ

教会に行かないまま高校を卒業して大学に入ろうとしましたが、思い通りにいかず浪人生活をすることになり、さらに、家のことも重なり、悩む時期がありました。そのような私を見て親しかった友達が又教会に誘ってくれたことがきっかけとなり、再び教会に通う…

教会生活

洗礼を受けてしばらく教会へ一生懸命通いましたが、高校に入り、一年過ぎた後、教会に行きたくなくなり、だんだん教会から離れていくのですが、その理由を整理してみると、おおむね二つの理由からでした。一つは、牧師先生が講壇で、いつも「私達は罪人です…

はじめに

私が洗礼を受けたのは中学校2年生の時でした。中学校1年生の時、知り合いのお姉さんに「教会に行くと楽しいよ」と言われたので行くと、ハンサムなお兄さんもいたので何だかわくわくして一年間教会に通いました。そうするうち突然、先生から「あなた、洗礼を…

 3章21−26節

21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。23 人は皆、罪を犯して…

 40編2−5節

2 滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ/わたしの足を岩の上に立たせ/しっかりと歩ませ3 わたしの口に新しい歌を/わたしたちの神への賛美を授けてくださった。人はこぞって主を仰ぎ見/主を畏れ敬い、主に依り頼む。4 かに幸いなことか、主に信頼をおく…

神の家族

「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、母なのだ。」(マルコ3:35) 神の御心を行うとは、神様の意志・思い・決意を遂行する・実現することです。神様の決意とは、「罪に陥った人間をどうしても救いたい!」との神様の熱情です。イエス様は、父なる…

十字架の死

「十字架の死」とは「全き自己犠牲」で、人間の罪の元凶である「自己中心」とは正反対です。イエス様は、神様への完全な従順によって「復活」という栄光を、父なる神様から授けていただいたのです。今日の旧約聖書イザヤ書に、人々の背きを贖う者として救い…

サタンの敗北

内輪もめの3つのたとえ話は、やがてイエス様が神の御子としてこの世を支配するサタンに打ち勝ち「この世を神の国にする」という勝利の預言になっています。この世の長として我が物顔しているサタンは、人間を、神様に従い得ない愚かで汚れた生き物として捕…

聖霊を冒涜(ぼうとく)する罪

「人々が犯す罪や冒涜の言葉はすべて赦されるが」(28節)とは、イエス様が「神の御子」であることを知ろうとしないことにより、漠然と神様に背いている言葉や行為などは赦されるということです。これに対して「聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず」とは、神…

「サタン」「(王)国」「家」のたとえ

イエス様は、仲間内で争えば自滅するだけであり、全く逆の性質の者が戦うことで、勝った方が負けた方を追い出せること。従ってイエス様が悪霊の仕業と考えられていた病気を癒したり、悪霊を追い出したりする力は、他の悪霊の力ではなく、逆の性質である「神…

はじめに

今日の聖書は、「あの男(イエス様)は気が変になっている」とのうわさを聞き、イエス様を取り押さえに来た「身内の人達」およびエルサレムから来た律法学者達がイエス様のことを「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていることに対するイエス様の…

マルコ福音書3:20−35

20 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。21 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。22 エルサレムから下って来た律法学…

イザヤ書59:15b−21

15b 主は正義の行われていないことを見られた。それは主の御目に悪と映った。16 主は人ひとりいないのを見/執り成す人がいないのを驚かれた。主の救いは主の御腕により/主を支えるのは主の恵みの御業17 主は恵みの御業を鎧としてまとい/救いを兜と…

ステファノの説教

ステファノは議会で、民族の歴史を語り、自分達の祖先がいつの時代でも神様が遣わす人達(預言者)に耳を傾けず反逆を繰り返してきたこと、その結果、預言者達を迫害し、又殺してきたこと、更に預言者が預言していた「正しい方」すなわち、神の御子イエス・…

被造物は創造主の住まいを造れない

創造主である神様の住まいを、被造物である人間が造るということは不可能です。神殿は、神様がそこに名前を置き、目を注いで下さるゆえに、私達人間はそこから祈りを捧げるのです。私達の伝道所も(全ての教会も)天におられる神様が目を注いで下さる故(ゆえ…

礼拝する場所

モーセは荒れ野において、神様を礼拝する場所として天幕を造るように命じられました。ダビデ王は自分が立派な王宮に住んでいるのに、十戒の板が納められている「神の箱」が古い天幕に置かれたままであるのが気になり、立派な神様の住まいを建てたいと願うよ…

はじめに

詩篇139編にこのような言葉が記されています。 「主よ、あなたは私を究め 私を知っておられる。座るのも立つのも知り 遠くから私の計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け 私の道にことごとく通じておられる。私の舌がまだ一言も語らぬ先に 主よ、…

 7章44−53節

44 わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。45 この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくだ…

 6章17−31節

17 イスラエルの神、主よ、あなたの僕ダビデになさった約束が、今後も確かに実現されますように。18 神は果たして人間と共に地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天も、あなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふ…

不従順の代償

神様が選ばれた民の不従順は、アモス書5章からの引用にあるように(7:42−43)、モレクやライファン(カナン・フェニキアおよびメソポタミアの神の名)という異教の偶像神へと走る姿に現れました。日本でも、伝統文化の継承という言葉のもとに、偶像神への祭…

先祖たちの不従順

エジプト脱出後、エジプト王が追手を出した時、彼らは恐れてモーセに言います「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がない為ですか。荒れ野で死なせる為ですか。一体、何をする為にエジプトから導き出したのですか」。又、旅の途中、モーセに不平を言いまし…