2009-08-23から1日間の記事一覧

神の家族

「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、母なのだ。」(マルコ3:35) 神の御心を行うとは、神様の意志・思い・決意を遂行する・実現することです。神様の決意とは、「罪に陥った人間をどうしても救いたい!」との神様の熱情です。イエス様は、父なる…

十字架の死

「十字架の死」とは「全き自己犠牲」で、人間の罪の元凶である「自己中心」とは正反対です。イエス様は、神様への完全な従順によって「復活」という栄光を、父なる神様から授けていただいたのです。今日の旧約聖書イザヤ書に、人々の背きを贖う者として救い…

サタンの敗北

内輪もめの3つのたとえ話は、やがてイエス様が神の御子としてこの世を支配するサタンに打ち勝ち「この世を神の国にする」という勝利の預言になっています。この世の長として我が物顔しているサタンは、人間を、神様に従い得ない愚かで汚れた生き物として捕…

聖霊を冒涜(ぼうとく)する罪

「人々が犯す罪や冒涜の言葉はすべて赦されるが」(28節)とは、イエス様が「神の御子」であることを知ろうとしないことにより、漠然と神様に背いている言葉や行為などは赦されるということです。これに対して「聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず」とは、神…

「サタン」「(王)国」「家」のたとえ

イエス様は、仲間内で争えば自滅するだけであり、全く逆の性質の者が戦うことで、勝った方が負けた方を追い出せること。従ってイエス様が悪霊の仕業と考えられていた病気を癒したり、悪霊を追い出したりする力は、他の悪霊の力ではなく、逆の性質である「神…

はじめに

今日の聖書は、「あの男(イエス様)は気が変になっている」とのうわさを聞き、イエス様を取り押さえに来た「身内の人達」およびエルサレムから来た律法学者達がイエス様のことを「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていることに対するイエス様の…

マルコ福音書3:20−35

20 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。21 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。22 エルサレムから下って来た律法学…

イザヤ書59:15b−21

15b 主は正義の行われていないことを見られた。それは主の御目に悪と映った。16 主は人ひとりいないのを見/執り成す人がいないのを驚かれた。主の救いは主の御腕により/主を支えるのは主の恵みの御業17 主は恵みの御業を鎧としてまとい/救いを兜と…