2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧
父である神様のところに行くには、イエス様が唯、一つの通路です。フィリポはイエス様に、「神様を示して下さい」と頼みました。人間は神様を見たいと思っているため、この世の中には数えきれない偶像が造り出されています。手で造った神々は、人間に真理を…
「真理」は、神様に所属し、神様だけが与えることが出来るものです。その真理をもっておられる神様と人間との間には、越えることのできない断絶があります。「道」とは、イエス様がその断絶の間に立ち、私達と神様との間をつなぐ、唯一の道になっておられる…
仲間の裏切り、イエス様との離別、リーダー格によるイエス様の否認・・。これらが弟子達の心を騒がせていたと想像できます。私達人間は、先が見えない時、希望が持てない時、挫折した時、敗北感を味わった時、心はかき乱され、失意の中で落ち込んでしまうこ…
今日の聖書は、イエス様の、「心を騒がせるな。」という弟子達に対する言葉から始まります。心を騒がせるとは、心がかき乱される、不安に脅かされることです。この時の弟子達は、どういう状況だったのでしょうか。 三つのことが考えられます。 一つは、「あ…
マルタは「はい、主よ、あなたが神の子、メシアであると私は信じております。」と告白しました。イエス様が自分にとってどういうお方かをはっきりおおやけに言うこと、これこそ救いに与る大事なことです。
神様が、「救い主」としてこの世にお遣わしになったイエス様を信じるならば、それは、神様の御心に従うことであり、神様の前に義しいとされて永遠の命を得ることができます。信じた後、肉体的に死んでも、神様の御前で生き続けることを保証されています。「…
しかしマルタは、イエス様が言われた「復活」の意味を正しく理解できませんでした。当時のユダヤ人達のように、終りの日に、神様から義(ただ)しいとされた者は永遠の生命が得られ、そうでない者は徹底的に滅びると考えていました。イエス様が言われた「復…
イエス様が村に到着された時、ラザロの死から4日も経っていました。 マルタは、イエス様に癒してもらえなかったことの残念さを口にしますが、イエス様の御力と、その力の凄さを理解していることを告白します。その告白を受けて、マルタはイエス様から「あな…
この出来事の前に、イエス様はユダヤ人達から「神を冒瀆した」罪で逮捕されそうになり、ベタニア近くのエルサレムから逃れています。今、又 ベタニア村に行けば、逮捕される可能性が高く、弟子達も「また行かれるのですか」と心配してイエス様に尋ねています…
今日は復活節第4主日です。イエス様は、「わたしは復活であり、命である」と言われます。今日の聖書の箇所は、「ラザロの死と復活」の出来事の一部です。エルサレムの近く、3?ほどのベタニア村にマリア、マルタ、ラザロの兄弟が住んでいました。彼らはイエ…
「新しい人」を身につけると、これ迄見えなかったものが見えるようになります。自分の中にある、神様から喜ばれないものが見え、逆に、喜んで受け入れていただけるものが見えるようになります。自分の中にある役にたつものと捨てるべきものが見えてきます。…
同じことが9節でも言われます。「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着けなさい」。古い人を捨てるとは、「種」の時代に身に着けていたものを捨てることであり、今度は、造り主(神様・イエス様)の姿に見倣う、その教えに従っ…
今日のコロサイ書に、「あなた方は、キリストと共に復活させられたのですから、」とあります。キリストを知る前の私達(すなわち「種」の時)は、本能に従って生きており、この世の価値観に影響され、そのもとで、不自由な生活をしていました。しかし、私達…
聖書が繰り返し私達に教えているのは、イエス・キリストを信じた者は、イエス様の十字架の死にあずかり、それと同時に、イエス様が復活されたその復活の命にあずかっているということです。与る(あずかる)という言葉は、一般的には「分け前にあずかる」と…
今、教会のこよみでは復活節です。イエス様は、私達の罪が赦される為に十字架にかかって下さった、その受難を覚える受難節から、今や、死に勝利してイエス様が復活された、その喜びの中に私達は置かれています。寒くきびしい冬を過ごした私達は、今、庭の草…
さて、11人の弟子達は、復活されたイエス様に会う為に、イエス様が指示されたガリラヤの山に登りました。そこで復活のイエス様を、神として、礼拝されるにふさわしい方として拝みました。イエス様は、弟子達のそばに近寄り、「わたしは天と地の一切の権能を…
今日の聖書には、イエス様の復活の出来事と、その後の祭司長達の行動、そしてイエス様の、地上での最後の御命令が記されています。 イエス様の遺体を置いていた墓が空になったことを見届けた番兵達は、この事実を、エルサレムの祭司長達にありのままに報告し…
私達は先週の日曜日、イースター礼拝において、聖書から、イエス様の復活は、神様の業であることを学びました。イエス様が十字架て死なれたことは、神様の救いの御計画の中で避けて通ることの出来ない出来事でした。なぜなら私達が神様から罪を赦していただ…