2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

二つの譬え話

イエス様は、この後、「塔を建てる人」の話と、「戦いに行く王様」の二つの譬え話をされて、イエス様の弟子になろうとする者は、先ず自分にその覚悟があるのかどうか、自分がこれから立ち向かわなければならないあらゆる事柄を想定し、腰を据えて考えること…

自分の十字架を背負ってついて来る者

「十字架を背負う」という表現は、刑場に赴く死刑囚の姿です。死刑囚として刑場に向かう者は、家庭・社会・今迄の業績・社会的信頼など、これ迄生きて来た場所から切り離され、身に付けてきた全てのものが取り外されます。 イエス様の背負われた十字架は、私…

第一のものを第一に

イエス様は、第一のもの、「あなたの創り主である神様からの召命」を最優先にする覚悟が、あなたにありますか、と、ここで問うているのです。エフェソ書(5:21−)では、夫婦は互いに仕えあい、夫は妻を愛するように教えており、父親は子供を怒らせないよう…

弟子の条件

「憎む」とは、憎しみを持つことのように想像しますが、これは、「第一のものを第一にすることを妨げるすべてのもの」を「より少なく愛する」ことです。私達人間は情に弱く、ともすると優先順位を入れ替えてしまうことがあります。すなわち、イエス様に従う…

一時的か、本物か。

この、イエス様の言葉は、大勢の群衆がイエス様を慕ってついて来ていた時の言葉です。イエス様についていけば、いつでもイエス様の話を聞くことが出来、その教えは耳に心地よく響き、イエス様と一緒にいると不安や恐れからも解放されたのでしょう。しかしイ…

14章25−35節

大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 自分の十字架を背負ってつい…

50章4−9節

主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え/疲れた人を励ますように/言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。 主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず、退かなかった。 打とうと…

「わたしは仕えるために来た」(45節)

今日の聖書は、イエス様は罪を犯されなかったにもかかわらず、「罪に定められて」殺されるために、今、弟子達の先頭に立ってエルサレムに向かっているところです。弟子達は驚き、従う者は恐れたと聖書は伝えています。イエス様は12人の弟子達を呼び寄せて、…

十字架の血による贖い(あがない)

人間の中には罪を犯さない正しい人が一人もいない為、神様はご自分の独り子である御子イエス様を、罪多きこの世に遣わされました。イエス様は人間として生れ、その生涯を通して罪を犯されませんでした。そして、人間の「罪」という負債を肩代わりして、神様…

天の秘密

イエス様の時代から2000年後に生きる私達は、聖書を通してイエス様の「ご受難と復活」の言葉を、次のように理解出来ます。「イエス様は、父なる神様のご計画を実現する為に、救い主としてこの世に遣わされました。神様の愛の対象として造られた人間は、創造…

はじめに

今日の聖書の前半は、イエス様が「三度ご自分の死と復活を予告する」箇所です。8章では弟子ペトロの「イエス様は救い主(メシア)です」との告白がなされます(29節)。イエス様はペトロの信仰告白を大変喜ばれて、「あなたはペトロ(岩)。わたしはこの岩の…

10章32−45節

一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。 「今、わたしたちはエルサレムへ上って行…

53章10−12節

病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ/彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。 彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者と…

イエス様は安息日の主

私達も又、律法の中心である「神を愛し、隣人を愛する」ことを戒めとして与えられております。私達はこの戒めを守りたいと願っています。安息日は神様の日であり、恵みの日であり、喜びの日です。神様を愛する者は、神様が望んでおられるように安息日をも過…

律法の精神

神様の意志の表れである「律法」の精神は、究極的には「神を愛する」ことと「隣人を愛する」ことです。しかしこの日集まっていた人達は、自分自身の延長線上にある家族や財産は、安息日規定を越えて助ける(愛する)けれども、それ以外の他者に対しては「安…

イエス様は安息日でも癒された

イエス様の質問に、その場にいた律法の専門家もファリサイ派の人々も沈黙を守り、答えようとしなかったので、イエス様は病人の手を取り病気を癒してお帰しになりました。ご自分の問いに、実践で答を示されたのです。「律法では、安息日であっても病気を治す…

沈黙

当時の考え方からすれば、病気を治すのは仕事のひとつとされ、安息日に働くことは禁じられていましたので、治療のたぐいは、してはならないことでした。(命に危険が及ぶ場合には、何らかの処置をとることは認められた)。イエス様からの質問に対して、「彼…

はじめに

今日の聖書は、イエス様がファリサイ派のある議員の家で、安息日の祝いの食事に客人として招待された時のことが記されています。1節の終りに「人々はイエスの様子をうかがっていた」とあります。うかがうとは、悪意ある目で偵察するという意味があります。イ…

14章1−6

安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。 そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。 そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「…

23章10−13

あなたは六年の間、自分の土地に種を蒔き、産物を取り入れなさい。 しかし、七年目には、それを休ませて、休閑地としなければならない。あなたの民の乏しい者が食べ、残りを野の獣に食べさせるがよい。ぶどう畑、オリーブ畑の場合も同じようにしなければなら…

悔い改める

悔い改めるとは、これ迄の、自分自身に仕える生き方(=自分自身の思いを最優先させる)をやめて、神様に仕える生き方に変えて、神の御子・イエス様を信じて受け入れ、その教えに従って生きていくということです。自分がしたいからするのでなく、神様が自分…

譬え話の意味

ぶどう園の主人は父なる神様です。実を結ばない木を、あと一年待ってほしいと頼んだ園丁はイエス様です。実を結ばない木は、悔い改めることをしない人のことです。イエス様は、悔い改めをしなければ私達の魂は間違いなく滅びると明言されます。滅びの反対は…

「決してそうではない。」

イエス様は、他人の災難と比較して自分は罪人ではないという自己満足に陥り、悔い改めを怠っている人達に、「決してそうではない」と、はっきり因果関係を否定しました。そしていちじくの木の譬えを話されたのです。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植え…

神の裁き?

このことを報告した人達は、これはガリラヤ人に下った厳しい神の裁きであると考えました。特にファリサイ派の人々は、災難を受けた人々は他の人々より罪が深かったから、そして人々に知られていない罪を彼らが沢山犯したからだと考えていたようです。イエス…

ある不幸な出来事

イエス様に、ある出来事が報告されました。それはピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことでした。古代イスラエルでは、自分の罪に対する神様の怒りをなだめ、罪の赦しを得る為、又、神様に近づき、神様と交わる手段として動物の犠牲をささげる…

はじめに

今朝の福音書には二つの段落がありますが、内容は一つです。どちらも私達に「悔い改めなければ滅びる」と警告しています。今は、イエス様の執り成しによって救われる道がまだ開かれている時です。しかし、来年迄の猶予期間内に悔い改めることをしなければ、…

13章1−9節

ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。 イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。 …

5章6−9節

主を求めよ、そして生きよ。さもないと主は火のように/ヨセフの家に襲いかかり/火が燃え盛っても/ベテルのためにその火を消す者はない。 裁きを苦よもぎに変え/正しいことを地に投げ捨てる者よ。すばるとオリオンを造り/闇を朝に変え/昼を暗い夜にし/…