2011-09-11から1日間の記事一覧

イエス様は安息日の主

私達も又、律法の中心である「神を愛し、隣人を愛する」ことを戒めとして与えられております。私達はこの戒めを守りたいと願っています。安息日は神様の日であり、恵みの日であり、喜びの日です。神様を愛する者は、神様が望んでおられるように安息日をも過…

律法の精神

神様の意志の表れである「律法」の精神は、究極的には「神を愛する」ことと「隣人を愛する」ことです。しかしこの日集まっていた人達は、自分自身の延長線上にある家族や財産は、安息日規定を越えて助ける(愛する)けれども、それ以外の他者に対しては「安…

イエス様は安息日でも癒された

イエス様の質問に、その場にいた律法の専門家もファリサイ派の人々も沈黙を守り、答えようとしなかったので、イエス様は病人の手を取り病気を癒してお帰しになりました。ご自分の問いに、実践で答を示されたのです。「律法では、安息日であっても病気を治す…

沈黙

当時の考え方からすれば、病気を治すのは仕事のひとつとされ、安息日に働くことは禁じられていましたので、治療のたぐいは、してはならないことでした。(命に危険が及ぶ場合には、何らかの処置をとることは認められた)。イエス様からの質問に対して、「彼…

はじめに

今日の聖書は、イエス様がファリサイ派のある議員の家で、安息日の祝いの食事に客人として招待された時のことが記されています。1節の終りに「人々はイエスの様子をうかがっていた」とあります。うかがうとは、悪意ある目で偵察するという意味があります。イ…

14章1−6

安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。 そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。 そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「…

23章10−13

あなたは六年の間、自分の土地に種を蒔き、産物を取り入れなさい。 しかし、七年目には、それを休ませて、休閑地としなければならない。あなたの民の乏しい者が食べ、残りを野の獣に食べさせるがよい。ぶどう畑、オリーブ畑の場合も同じようにしなければなら…