2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

キリストの体である教会

まことの岩であるキリストによって、教会が私達の上に建てられています。それゆえ私達は(パウロがいったように)「キリストの体なる教会」なのです。それは目に見える建物としての教会では決してありません。そうではなくて、まことの岩であるキリストを告…

万人祭司

これが、「キリストを信じる全ての者が、司祭であり祭司である」というプロテスタントの万人祭司という宗教改革の原理です。宗教改革者ルターは、ローマ教皇あるいはペテロに与えられた信仰・・・それは、キリスト者一人一人にキリストによって与えられる。…

私達に知らされている多くの証言

このペテロに比べて私達はどうでしょうか。私達は主イエスの地上の生涯だけではなく、主イエスについて旧約聖書はもちろん、福音書や使徒達の手紙によって沢山の知識が与えられています。たとえば「御子は見えない神の姿であり、全てのものが造られる前に生…

「私はあなたのために祈った」

しかし、ペテロの上に教会が建てられるということと、ペテロの告白したことの上に建てられるというのは、必ずしも結びつくとは限りません。しかし聖書全体を読んでいきますと、結びつかざるをえないようにも思います。それは、ペテロが三度主イエスを否認す…

岩とは主イエス・キリスト

詩編95編に「主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。」とありました。詩篇31編には「主は私の大岩、私の砦、私の神、砦の岩、城塞」と言っています。又、パウロはコリントの手紙10章4節で、モーセに率いられたイスラエルの民が、…

教会が建てられる岩とは

別の角度から見てみたいと思います。それはペトロ自身のことです。まず宗教改革者ルターやカルヴァンは、教会が建てられる岩というのは、ペテロが告白した「主イエスご自身」のことだと反論しました。この反論を、ルターは何度も何度も繰り返し語りました。…

ローマカトリック教会

このペテロに対する祝福、そしてこの岩の上に教会が建てられ、地上でつなぐことは、天上でもつながれ、地上で解くことは、天上でも解かれる、そういうこの救いに対する権利を、カトリック教会はペテロだけではなくてペテロの後継者である代々のローマの司教…

「この岩の上に教会を建てる」

主イエスは、ヨナの子シモンにペテロ(岩)という名前を与え、この岩の上に教会を建てる。しかもその教会は、死によっても滅ぼされないと付け加えています。これはペテロに対する大変な祝福です。大変な祝福でありますが、大事なことは、マタイ福音書18章に…

ペテロに信仰告白をさせた方

しかしこの信仰の告白を、ペテロは、この時、主イエスがどんな形で人類を救いながら、十字架と復活をどういう形で遂行するのか何も知らない状況でした。ペテロに限らず他の弟子達も、主の十字架と復活については何もまだ知りませんでした。ただ主イエスを神…

「人の子」

「人の子」は聖書から考えて見ますと、旧約聖書イザヤ書にあるように、私達の罪の贖い(あがない)、罪の赦し、救いの為に十字架の苦しみを受ける救い主(メシア)のことです。同時にダニエル書には、人の子は、この世界の終りの日(最後の審判の時)に、神…

第二の質問

次に主イエスは「あなた達は私を何者だと思っているのか」とお聞きになりました。するとペテロは「あなたはメシア(キリスト)、生ける神の子です。」と答えました。このペテロの答えは、主イエスが期待していた答えだったのです。

主イエスの第一の質問

本日の聖書では、主イエスが弟子達に対して二つのことをお尋ねになっています。第一の質問は、人々は「人の子」を何者だと言っているか、という問いです。「人の子」というのは、主イエスが御自分のことをそう呼ばれたのです。主イエスの自称です。「私はこ…

はじめに

本日は、私達プロテスタント諸教会の成立のきっかけとなった宗教改革を記念して礼拝を捧げることになりました。宗教改革の意義というのは、聖書の解釈、つまり聖書の理解の中に、最も中心的なものが表れてくるのではないかと思います。そうでなければ、宗教…

 16章13−20節

13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。14 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』と…

 95編1−7節

1 主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。2 御前に進み、感謝をささげ/楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。3 主は大いなる神/すべての神を超えて大いなる王。4 深い地の底も御手の内にあり/山々の頂も主のもの。5 海…

「何を聞いているかに注意しなさい。」(24節)

神の国の広がりの希望を知らされている私達は、神様側の基準を理解し、従い、保ち続けることが求められています。神の国に招かれた私達は、その国にいる喜びと恵みに感謝しましょう。その恵みを理解せず、感謝できなければ、降り注いでいるはずの恵みを感知…

「成長する種」(4:26−)

人はごくわずかの働きだけ(種を蒔くだけ)で、あとは神様が働いて下さっていることが語られます。どんな時も神様のご計画は着実に進んでいくのです。人はそれぞれの時や場所にあって、そのご計画の下、働く役目が与えられています。人には知らされず神様だ…

神の国の広がり

今日の、ともし火のたとえは、「命の光(ヨハネ8:12)としてこの世に来られたイエス様の神の国の福音が、必ず明らかになる」との預言です。イエス様が救い主としてこの世に来て下さり、神の国を教えて下さったこと、神様の偉大な力を示し、人々に希望を与え…

イエス様は御言葉と行為で。

自分の一時的な感情や利益の為に人を利用することがまかり通る、今の、私達の罪ある世界と違って、神の国は、責任を持ちつつ互いを敬い、尊重する気持を持って、神様ご自身や周りの人と永遠につながっていられる世界、神様の愛が溢れた世界です。イエス様は…

「神の愛」とは?

「神の愛」の元々の言葉は「アガペー」と呼ばれ、「尊敬する」「賞賛する」の意味から生まれた言葉です。私達の社会でよく使われる「愛」は恋愛に見られるような、一時的で不安定な「好き」な気分を連想しますが「アガペー」は全く違います。相手を大事に思…

「神の国」とは?

「神の国は見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:20)。神の国はお互いの人格的関係の中でこそ成り立つ・・そこには「神の愛が、神様と人間の間、そして人間と人間…

はじめに

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と、イエス様は言われて、神の国の宣教活動を始められました。「神の国を宣べ伝え、この世に広める」ためにこそ、イエス様はこの世に来られました(マルコ1:38)。

 4章21ー34節

21 また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。22 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。23 聞く耳のある者は聞…

 33編12ー22節

12 いかに幸いなことか/主を神とする国/主が嗣業として選ばれた民は。13 主は天から見渡し/人の子らをひとりひとり御覧になり14 御座を置かれた所から/地に住むすべての人に目を留められる。15 人の心をすべて造られた主は/彼らの業をことごと…

「こうして教会はユダヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えて」(31節) 

私達の伝道所の、祈りの目標がここにあります。聖霊は、父なる神と子なる神(キリスト)と並んで永遠の神です。この聖霊が慰め主であり、真理の霊としてイエス様がご自分の代わりに送って下さった霊です。聖霊の働き無くしては教会の存続も信仰者の誕生もあ…

エルサレムで

キリスト者パウロとして、彼は主イエスの弟子達に会いにいきますが、迫害者として名が知られていた為、弟子達はパウロに対して不信と恐れを抱きました。しかしバルナバはパウロを信じ、受け入れ、使徒達の所へ案内し、神様がパウロになさった出来事を説明し…

ダマスコで

回心したパウロは、ダマスコにあるユダヤ教の会堂で、「イエスこそ神の子である」と、旧約聖書のメシア預言がイエス・キリストにおいて成就したことを大胆に宣べ伝えました。 すぐさま驚きの反響が広がり、今度はパウロがユダヤ人から命をねらわれるようにな…

パウロの回心

その彼がダマスコ途上で復活の主イエスに出会い、主イエスを自分の主として受け入れたのです。パウロは変えられた自分を「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選びだされ、召されて使徒となったパウロ」(ロマ1:1)と記しました。彼はそれ迄の考え方「…

はじめに

パウロは自分を、「アブラハムの子孫であり、生まれて8日目に割礼を受け、ベニヤミン族の出身でヘブライ人の中のヘブライ人です」(フィリピ3:5)と紹介し、更に、「私は先祖からの伝承を守るのに 人一倍熱心で、同胞の間では同じ年頃の多くの者よりも、ユ…

 9章19bー31節

19b サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、20 すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。21 これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼ…