2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ザカリヤの預言(ザカリアの賛歌)

今朝の聖書は三つに分かれ、①「神様は、多くの預言者が言っていた通り、ダビデの子孫から救い主を立て、敵の手から自分達を救って下さる。それはイスラエル民族の先祖アブラハムと主が契約を結んだことを忘れずにいて下さる憐れみによるのだ」、②「自分の息…

洗礼者ヨハネ

神様は、御降誕の準備として特別な使命をもった人をこの世にお送り下さいました。洗礼者ヨハネです。預言通り(イザヤ40:3、マラキ3:1)「救い主到来の直前にやってきて、民の救済の為に主の道を準備する者」です。ある日、祭司ザカリヤに天使が現れ、子供…

こよみの最初が「待降節」!

一年の初めの第一歩が、いきなり「御降誕」のお祝いではなくて「主を待ち望む、待降節」であることに深い意義を覚えます。「神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得る為である。神が御子を世…

はじめに

本日は仙台南伝道所で礼拝が献げられるようになって6周年となりました。これまでの神様の御導きと御守りを、ご一緒に感謝致しましょう。これからも、イエス様の福音を正しく宣べ伝えていく群れとして歩んでいくことができますよう、ご一緒に祈っていきまし…

 1章67−80節

67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。 68 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、 69 我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。 70 昔から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに…

 3章19−23節

19 見よ、その日が来る/炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者は/すべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。20 しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには/義の太陽が昇る。その…

「すべての民を弟子とし、洗礼を授け、教えをすべて守るように」

十字架と復活。それは死と甦りの信仰です。死とはそれまでの自分が死ぬことです。神様よりも自分の思いを優先順位の先頭に置いてきた過去の自分、罪ある自分がイエス様の十字架と共に死ぬ。そしてイエス様の甦りと共に新しい自分としてよみがえらされる。そ…

伝える者と信じない者

弟子達は復活のイエス様に会ってひれ伏しました。十字架の死を超えて神様によって復活された神の御子イエス様として礼拝しました。ところが聖書には「しかし、疑う者もいた。」という一文が挿入されます。 弟子達は復活についてイエス様から生前、聞いてはい…

大宣教命令

「あなたがたは行って、全ての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなた方に命じておいたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 本日の聖書は、イエス様の大宣教命令とも…

はじめに

アメリカの感謝祭(Thanks Giving Day)にならって、私達の属する日本基督教団は11月第4日曜日を収穫感謝日と定めています。アメリカでは11月の第4木曜日に全家族が集まってお祝いし、その週は学校や会社がお休みになります。(イギリスでは昔はLammas8月1…

 28章16−20節

16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。17 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。18 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。19 だから、あ…

 44章1−8節

1 そして今、わたしの僕ヤコブよ/わたしの選んだイスラエルよ、聞け。 2 あなたを造り、母の胎内に形づくり/あなたを助ける主は、こう言われる。恐れるな、わたしの僕ヤコブよ。わたしの選んだエシュルンよ。 3 わたしは乾いている地に水を注ぎ/乾いた…

復活とは死に対する勝利

聖書は、イエス・キリストの十字架の死と、三日目に復活したことを、すでに起こったこととして伝えています。死とは何か。全てを否定する力、虚無、絶望、深い闇・・人間の太刀打ちできない相手です。人間が最も恐れている死を、イエス様は神によってよみが…

裏切っても?

でも、ゲッセマネでのイエス様の苦しみの祈りの時には三人の愛弟子達は眠ってしまいました(26:40−)し、その後イエス様を逮捕しに来た人々の前に弟子達は皆イエス様を見捨てて逃げ出しています(同56)。ペテロも三度も否んでいます。私達がイエス様の立場…

わたしの兄弟たち

イエス様はここで、ご自分の弟子のことを「兄弟」と呼ばれています。マタイ福音書12章49−50には次のようなイエス様の言葉があります。「そして、弟子達の方を指して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。誰でも、私の天の父の御心を…

さらに驚くこと

さらに驚くべきことが起こりました。女性たちの行く手に、復活されたイエス様が声をかけてこられたのです。二人はイエス様の足もとにひれ伏しました。イエス様は言われました。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟達にガリラヤへ行くように言いなさい…

恐れと喜び

二人の女性は天使からイエス様が復活なさったという驚くべき知らせを聞き、さらにこの知らせを弟子達に急いで伝えるように命じられます。聖書に登場する天使はメッセンジャーという意味があります。神と人間との仲介者としての役割を担っています(マリアの…

人知を超える体験

私達の想像をはるかに超えるこれらの出来事に、彼女達はどんなに驚いたことでしょう。3節にありますように、天使達は稲妻のように輝く姿と、雪のように真っ白な衣を身につけており、それを見た墓の番兵達は恐ろしさのあまり震えあがり死人のようになった(4…

はじめに

イエス様が十字架上で亡くなられ、アリマタヤ出身のヨセフの手により新しい墓に葬られたのは安息日に入る直前でした。土曜日の日没を迎え、安息日があけた日曜日の明け方に、二人の女性がイエス様の墓を見に行きました(1節)。マルコ福音書とルカ福音書では…

 28章1−15節

1 て、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。 2 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。 3 その姿は稲妻のように輝き、…

 16章7−11節

7 わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし/わたしの心を夜ごと諭してくださいます。 8 わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし/わたしは揺らぐことがありません。 9 わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。…

「キリスト我が内に在りて生くる」(ガラテヤ2:20)

聖書の言葉「イエス・キリストが我が内に生きる」ということ、イエス・キリストを信じる、合点するということは、知識のレベルにとどまらず、私達の生きる原動力として働くのです。どのような場面でそれが働くかに関しては、正解や見本はありません。 イエス…

信仰は新しい人生の歩みの原動力

ところで,イエス・キリストを合点する・信じるということは新しい私達の人生の歩みの原動力となります。奇しくも先ほど引用した「横井」も「山鳥」の二人も同じことを言っています。横井は次のように言います「合点するいうことは、その理(ことわり)を自分…

私達の信仰

さて、私達もイエス・キリストを知っています。聖書には次のようにまとめた形で紹介がなされています。 「『この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。』 ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、 正しくお裁きになる方…

百人隊長と十字架

振り返って、百人隊長の姿と重ね合わせたいと思います。彼はイエス・キリストの言葉や行ないを聞いて知っていました。時には実際に目撃したかもしれません。知識は少なからず蓄積されていたのです。しかしイエス・キリストが神の子である。人の罪の救いをも…

「知る」と「合点がいく・わかる」とは違う

さて、百人隊長の心の中に起きた変化についてさらに考えてみたいと思います。1864年(明治維新の4年位前)のことですが、明治維新の代表的な人物で、思想家である横井小楠(しょうなん)という人物が「思う」ということの重要性について次のように語ってお…

「確かに」

人々がペテロを見て「確かにおまえもあの連中の仲間だ」という「確かに」という表現は、百人隊長が使った「本当に」と同じ言葉です。百人隊長は、「『確かに』『本当に』この人は神の子だった」と語ったのです。「本当に」「確かに」という表現は、これ迄聞…

「本当に」

「本当に」という言葉は強い確信を表す言葉です。別の場面ですが十字架にイエス・キリストがかかる直前のこと、祭司長や民や長老達が遣わした人々が剣や棒をもってイエス・キリストを捕え、裁判を開き、死刑宣告をしようとした時のことです。弟子のペテロは…

十字架刑の執行責任者としての百人隊長

なぜイエスが十字架につけられなければならないのか。イエス・キリストは何を語り、何をしたのか。百人隊長はある程度承知していたでしょう。今日私達が聖書から教えられるイエス・キリストの姿をある程度理解していたと想像されます。しかも彼は現場責任者…

別の百人隊長

カイサリア(地名)に、イタリア隊と呼ばれる部隊が駐屯しておりました。その部隊の百人隊長がコルネリウスという呼ばれる人でした。使徒言行録の証言によれば、コルネリウスは信仰心厚く、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた…