こよみの最初が「待降節」!

 一年の初めの第一歩が、いきなり「御降誕」のお祝いではなくて「主を待ち望む、待降節」であることに深い意義を覚えます。「神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得る為である。神が御子を世に遣わされたのは世を裁く為ではなく、御子によって世が救われる為である。」(ヨハネ3:16−17)との御言葉は、毎週「赦しの言葉」として、私達の「懺悔の祈り」の後に戴く御言葉です。イエス様は十字架の死から復活され死に打ち勝たれたので、私達は罪の世界に沈んだままではなくイエス様を通して神様との関係を修復していただけるようになりました。太陽の光から身をひそめれば、その暖かさの恩恵にあずかることはできないように、神様から離れた生活や考えのままでは神様の愛を存分に味わうことは出来ません。神様の豊かな愛にふさわしく歩むために、神様の「聖(きよ)さ」を我が身に帯びさせていただきたいと思うものです。レビ記に「私(神様)は聖なる者であるから、あなた達も聖なる者となりなさい。」(11:45)とあるように、「待降節」を「悔い改め」という準備期間として過ごしたいと思います。