2013-09-01から1ヶ月間の記事一覧

十字架の背後には罪の赦しと神様の愛

このような反対者達や部下達の罪深さを見る時、自分の中にも同じような弱く愚かで自己中心的な罪を見つけます。この私達人間の罪を背負い、その罪が赦される為の犠牲として、イエス様は罪人達による裁判で苦しまれ、屈辱的な十字架の死を孤独の中で遂げられ…

「唾をはきかけ、こぶしで殴りつけ、平手で打った」

判決後、イエス様に対して暴力が行われました。この世の権威の下にいる人々が、有罪とされた「弱い」者には力を用いて相手の尊厳を傷つけても許されると誤解したからです。何が真実かではなく、日頃、虐げられている自分のうっぷんをはらす人間の弱さ愚かさ…

判決

それに引き換え反対者達は、自分達だけでなく人々にも偽証するよう求めたのです。人を罪に誘導し、罪の仲間に引きずり込む・・、これも罪人の典型的なパターンです。 今日の旧約聖書(ダニエル書)にある「メシア」の姿は、大祭司達にもよく知られていました…

沈黙の中のひとこと

裁判における数多くの証言は、どれも決定的なものではありませんでした。イエス様ご自身も、虚しい証言の一つ一つには沈黙を守られました。しかし、大祭司の、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」という問いには、敢然と肯定の返事をされました「わたし…

裁判

彼らの心の奥底は、イエス様に対する嫉妬と憎悪の感情で満たされていました。けれどもそれを、正当な法的手段で包み隠そうとして裁判を開きました。裁判は通常、大事な祭りや大事な安息日には開かれません。この時は大事な過越祭でした。又、通常、夜は開か…

はじめに

イエス様はユダの裏切りによって反対者達に引き渡されましたが、うしろで操っていたのは、宗教的権威をもつ人々であり、最高法院議員という政治的な権力を持つことができた「祭司長、律法学者、長老達」でした。彼らは「安息日の遵守」や「罪人達との交際に…

マルコ14:53−65

ダニエル書7:13−14

「悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。」(マタイ5:3)

カラヴァッジョという画家がこの場面を描いた「キリストの捕縛」という絵があります。かつてこの絵の所有者であった女性は、警察官の夫が、無実の罪で、暴徒に殺されるという悲劇に見舞われました。彼女の深い悲しみと落ち込みから彼女を救ったのは、この絵…

聖書の言葉の実現

イエス様は御自分の道が、イザヤ書53章に預言されている「苦難の僕」としての歩みであることを知っておられました。それ迄のユダヤ人が考えていたような、「栄光の救い主」としてではないことを分かって歩んでおられました。この夜、「弟子達は皆、イエスを…

神様の御心を知って受け入れる

イエス様は既に、ご自分が受けられる苦難をご存知でした。しかし、捕らえに来た人々は抵抗にあうことを恐れて、剣や棒を持ってきました。人間達は暗闇の中の大騒動に惑わされました。只イエス様お一人だけが、御自分のことより神の御心である「聖書の言葉の…

逮捕

時は夜。逮捕のため来た人々は、幾らかの明かりは持っていたでしょう。それでも誤認逮捕の可能性も考えたかもしれません。ユダは接吻を装いながら、暗闇の中でイエス様を捕まえて当局に確実に引き渡す役割を買って出たようです。本来「接吻」は相手を好まし…

祭司長・律法学者・長老たち

イエス様から「裏切る者」と呼ばれた弟子のユダと、彼と共に結託して(というよりむしろ、その後ろで糸を引いていた本当の「罪人」である祭司長、律法学者、長老達)、イエス様を亡き者にしようとした人々が、今日の聖書に、具体的に書かれています。彼らは…

はじめに

エルサレム郊外の「ゲツセマネ」という場所で、イエス様は父なる神様に、これから起こる苦難を出来ることなら避けさせて下さいと祈られました。しかし三度祈っても、その苦しみこそ,避けて通ることは出来ないとの神様の御声を聞かれたのでしょう。人々の罪を…

マルコ14:43−52

詩編22:13−24

「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」

終末については、私達には多くのことが隠されています。信仰生活が長いことが自慢になるわけではありません。その人が今、どれほど喜んで、神様に感謝して、神様に従う生活を送っているかが大切です。 イエス様は、従う者への終末の祝福の約束と、警告を語ら…

金持ちが神の国に入ることは・・

お金持ちが富から自由になることは、らくだが針の穴を通るよりむつかしいと、イエス様は、その困難さを弟子達に語りました。弟子達は驚き、それでは救われる人がいないのではないかと答えますと、イエス様は、「人間には出来ないが神は何でも出来る」と答え…

「永遠の命を得る」=「神の国に入る」

先週、説教されたウェイド宣教師は、「神の国には主権者がおられます。御国の民とされた者は、命をはじめとして、肉体、体力、能力、健康、財産、家族、賜物など、すべては神様からいただいた神様のものです」と語られました。ところが青年は、自分の財産に…

「賜物として」受ける

永遠の命は、自分の努力で獲得するものではなく、全くの神様からの賜物として与えられるものです。もし目に見える善行や、業績によるならば、行為の完璧さが求められるでしょう。それは不可能です。 彼は、自分の限界に気付き、これまでの生き方の原則を捨て…

青年の質問

「まだ何か欠けているか」と問う青年は、「永遠の命」は、律法を守る生活を積み上げて来た人間の努力・宗教的な実績によって獲得できると考えていたことがわかります。だからこれ迄も、その努力を欠かさなかったし、今後も努力するつもりでした。自分の善い…

「命を得たいのなら、掟を守りなさい。」

イエス様はこの青年に、もし永遠の命を得たいのなら、掟を守りなさいと言われました。青年はどの掟かと聞き返し、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また隣人を自分のように愛しなさい」とイエス様から言われた時、即座に「そういうこ…

お金持ちの青年

お金がある、まじめな青年がイエス様の所に来て、「永遠の命」を得る為にはどんな善いことをすればよいかと質問しました。「永遠の命」とは、信仰の熱心なユダヤ教徒が熱心に望んでいたもので、それは、救い主の支配のもとで祝福に満ちた来るべき世に住むこ…

はじめに

今日の聖書には、三つのことが語られています。一つは、イエス様と金持ちの青年との会話。二つには、人間にとって不可能なことが、神には可能であるということ。そして三つ目に、終末への約束と警告です。

マタイ19:16−30

詩編119:33−40

おわりに

お祈りをもって閉じたいと思いますが、使徒パウロはエフェソの教会の為に祈りました。使徒達は、教会のためにどのように祈ったのでしょうか。その高さと広さと深さのゆえに、神の愛を知ることができますように。神の愛は、私達の考えをはるかに越えるもので…

ダスティのこと

インディアンの方々が住んでいる場所において、彼らの信仰する宗教の中に、太陽に対する踊りがあります。その儀式では、木が用意され、飲み食いせず、四日間断食をします。そして彼らは、ビジョン(神からのメッセージ)を求めます。木からつるされているコ…

神の国の文化

神の御国についての、二つめのポイントですが、それは御国の「文化」があるということです。マタイ福音書5章6章、18章には御国について事細かく語られています。この世の教え・この世の方針とは違います。 たとえば、一番になりたい人は、最後にならなければ…

地域で起こったこと

ある日、ある家を訪問した時のことですに、その家の誰かが亡くなったということでした。そこは犯罪が蔓延している地域でした。 御国に属する者は、「恐れ」をもたないということが、先ずあります。もし私が恐れに駆られているならば、神の御国を代表すること…