2013-09-22から1日間の記事一覧

「悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。」(マタイ5:3)

カラヴァッジョという画家がこの場面を描いた「キリストの捕縛」という絵があります。かつてこの絵の所有者であった女性は、警察官の夫が、無実の罪で、暴徒に殺されるという悲劇に見舞われました。彼女の深い悲しみと落ち込みから彼女を救ったのは、この絵…

聖書の言葉の実現

イエス様は御自分の道が、イザヤ書53章に預言されている「苦難の僕」としての歩みであることを知っておられました。それ迄のユダヤ人が考えていたような、「栄光の救い主」としてではないことを分かって歩んでおられました。この夜、「弟子達は皆、イエスを…

神様の御心を知って受け入れる

イエス様は既に、ご自分が受けられる苦難をご存知でした。しかし、捕らえに来た人々は抵抗にあうことを恐れて、剣や棒を持ってきました。人間達は暗闇の中の大騒動に惑わされました。只イエス様お一人だけが、御自分のことより神の御心である「聖書の言葉の…

逮捕

時は夜。逮捕のため来た人々は、幾らかの明かりは持っていたでしょう。それでも誤認逮捕の可能性も考えたかもしれません。ユダは接吻を装いながら、暗闇の中でイエス様を捕まえて当局に確実に引き渡す役割を買って出たようです。本来「接吻」は相手を好まし…

祭司長・律法学者・長老たち

イエス様から「裏切る者」と呼ばれた弟子のユダと、彼と共に結託して(というよりむしろ、その後ろで糸を引いていた本当の「罪人」である祭司長、律法学者、長老達)、イエス様を亡き者にしようとした人々が、今日の聖書に、具体的に書かれています。彼らは…

はじめに

エルサレム郊外の「ゲツセマネ」という場所で、イエス様は父なる神様に、これから起こる苦難を出来ることなら避けさせて下さいと祈られました。しかし三度祈っても、その苦しみこそ,避けて通ることは出来ないとの神様の御声を聞かれたのでしょう。人々の罪を…

マルコ14:43−52

詩編22:13−24