2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧

教会が伝え続けるメッセージ

この言葉は、聞いた人々の心に鋭く突き刺さりました。彼らは大きなお祭りのために世界各地からエルサレムに戻って来ていたユダヤ人です。彼らは十字架刑に直接かかわりませんでしたが、自分達民族が待望していたメシアを、外国人の手を借りて殺してしまった…

神様の御計画

しかし、イエス様をこの地上に送られたのは、神様の御計画であり、すべてを御承知の上で、神様はイエス様をこの世に遣わされました。 イエス様が十字架への道を歩かれたのも、父なる神様を仰ぎ見て、それが神様の御意志であることを知り、その御意志に服従さ…

弟子が伝えた伝道メッセージ

今朝の聖書は、イエス様の復活・昇天後の弟子達が、聖霊を受けて、説教している箇所です。ここで語られたメッセージは、イエス・キリストという一人のお方を通して行なわれた、そして今も続く神様の行為です。イエス様は多くの奇跡・不思議なわざ・しるしを…

信じることができなかった弟子達

復活されたイエス様にも出会った婦人達は、そのことを弟子達に伝えますが、誰も信じませんでした。その後、弟子達が集まっていた所にイエス様は来られました。ヨハネ福音書によれば、この時不在であったトマスは、「わたしはイエス様の手に釘あとを見て、こ…

はじめに

今朝、皆様と共に、イエス・キリストの復活をお祝いするイースターの礼拝を捧げることが出来ることを神様に感謝致します。 イエス様が十字架につけられて息をひきとられた後、その遺体を十字架から下ろす許可をとったのは、弟子達ではなくアリマタヤ(ユダヤ…

使徒言行録2:22−24・32−39

イザヤ書55:6−13

「父なる神・子なるイエス様・聖霊」の働き

十字架の苦難を、私達の敵意や罪のために耐え忍んで下さり、それだけでなく、御自分の、勝利の復活の恵みを共有しようとして下さる神の御子・イエス様。世の初めから、人間を本当に救おうと徹底的に愛して働きかけて下さる父なる神様。私達が洗礼を受けてか…

福音を知らされて

しかし、福音を知らされた後の私達は、希望のなかった状態から本当の平和の状態へ招き入れられ、復活の恵みに共にあずからせていただいたことが分かりつつあります。それは神様を知らなかった頃の、絶望とは逆の、「希望」の世界です。神様から遠かった私達…

希望のない戦い

最初の「救いの計画」に入っていなかった異邦人の私達は、聖書で証しされているような神様のことを知りませんでした。そして、訳がわからないまま悪い思いに捕らわれている自分、望まない悪いことをしてしまう自分、又、自己中心的な思いをむき出しにしてぶ…

十字架と平和

今日の聖書では、エフェソのキリスト教会が、ユダヤ教からの改宗者と異邦人のキリスト教徒との間にわだかまりがあったことを伝えています。それに対して、双方が、イエス様の十字架に立ち帰れば、自分を縛っていた「敵意」や「罪」を、主が御自分と一緒に十…

「十字架と復活」を信じる信仰

神様から選ばれたユダヤ人だけが救われる時代は終り、イエス様の「十字架と復活」を信じる者なら誰でも救われる時代になったのです。神様は聖なる方であり、人間が罪に染まった状態では交流できませんが、十字架による罪の赦しを信じた者は、聖なる神様と交…

この世に対する勝利

イエス様は、福音を伝えていく生活の中で、彼らに時に厳しく、時には忍耐強く教えられましたが、最後は彼らのやり方に任されました。これこそ神様の勝利の方程式です。罪の子達のやり方に負けているように見えて、実はそれを越える「本当の救い」の業がこの…

敵意

殺されることになった直接の原因は,ユダヤ教指導者達の「敵意」でした。敵意こそイエス様を十字架につけたものです。神様は、イスラエルの民が最も貧弱な民であったゆえに、御自分の民として選び愛し、その証しとして「律法」を授けられました。しかしイエス…

大歓迎のあとに・・

ゼカリヤ書で預言された「王」とは人々が待望していた「救い主」です。イエス様が語られた福音の言葉や奇跡の業を通して、人々はイエス様こそ待望の救い主だと思ったのです。イエス様がエルサレムの町に入られた日、人々は服や木の枝(しゅろ)を道に敷いて…

はじめに   

今日は、私達の主イエス・キリストのエルサレム入城を記念する日です。 エルサレム入城は、旧約聖書のゼカリア書9:9〜10の預言の実現です。当時の王=支配者は、弱い者を強い力で支配し、軍隊で使われる「馬」を使用しましたが、ゼカリヤ書で預言される「王…

エフェソ 2:11−22   

ゼカリヤ書 9:9−10

「わたしと同じように」

イエス様は、この教えの見本として御自分のことを見るように言われました。神の御子・イエス様が来られたのは、弱い人、貧しい人、苦しんでいる人達の為に奉仕し、彼らが神様のもとに立ち帰って癒され、元気になることでした。そして究極の目的は、罪の鎖に…

「あなたがたの間では、そうであってはならない」

ヤコブとヨハネのことを聞いて他の弟子達が憤慨していることを聞いたイエス様は、弟子達一同を呼び寄せて、この地上では、上にいる人が力をもち、下にいる人達を従わせているが、「あなたがたの間では、そうであってはならない」と教えられました。他人を上…

「誰が座るかは、私の決めることではない。」

この後イエス様は、御自分は地上では弟子達の主であるけれども、しかしすべてのことは、イエス様の思い通りではなく、父である神様の御命令通りになさること、天において誰がどこに座るかなど、神様がお決めになることであると教えられました。

「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことが出来るか」

イエス様は、この二人の弟子に、その覚悟があるのかどうか尋ねられました。ヤコブもヨハネも、イエス様が飲もうとしてしておられる杯の中身を十分理解しないまま、自分達は飲むことが出来ると答えます。イエス様は「確かに、あなたがたは私の杯を飲むことに…

「あなたがたは、自分が何を願っているのか分かっていない」

母親も二人の弟子も、イエス様が神の国で栄光を受けられる時のことに思いをふくらませ、イエス様が予告され、これから向かおうとされている十字架の死に至る道については、目をそらしているのでしょうか。 しかし、イエス様と一緒に、神の国で、その栄光の恵…

母親の願い

イエス様から「何が望みか」と聞かれ、母親は、イエス様が天の国で王座につく時、息子達を、王座の左右に座らせて欲しいと頼みました。地上では、王様の右隣には、家来の中でも一番権力がある人が座り、左には、その次に権力のある人が座ります。息子達も一…

受難予告よりも思いは・・

今日の聖書の直前には、イエス様がこれからエルサレムで十字架につけられ、殺されて三日目に復活することを12人の弟子達だけに打ち明けられたことが記されています。受難の予告は三度目です。弟子達にとっては、きびしく重い話ですが、イエス様が死なれるこ…

はじめに   

日曜日を除く40日間の受難節に入って一カ月が過ぎました。この時期、イエス様の御受難を覚え、克己(自分の欲望・感情などを抑える)・修養(御言葉に養われ、人格形成に努める)・悔い改め(神様を第一にせず、自分を最優先にして生きる罪などを悔い、日々…

マタイ福音書 20:20−28   

箴言 3:32−34

主の御計画と人間

三度、イエス様を知らないと言った後に、二度目の鶏の鳴き声を聞いたペトロは、イエス様の御言葉が実に確実であり、イエス様は本当に神の御子として、人間の罪(弱さ・愚かさ)を知りながら、神様のご計画だけが実現することを言われたのを思い知りました。…

ペトロの誓い

イエス様から、自分達が散らされて、信仰がつまずくと預言されても、一番弟子ペトロは「私はつまずきません」と否定しました。「鶏が二度鳴く前に三度私を知らないと言う」と言われても、「死なねばならなくなっても決して言わない」と誓いました。が、イエ…