2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

主を信じること、主に祈ること

神様に100パーセント委ねることは、最初は難しいかもしれません。しかし、そうしたいと願っていれば、神様からそういうふうに変えていただけます。今日の箇所の父親のように、です。そうすることで、主にある平安を得、本来の自分(分裂していない自分)を見…

「なぜ、私達は霊を追い出せなかったのでしょうか」

弟子達の、この質問に、イエス様は「祈りによらなければ出来ない」と答えられました。写本によっては、「祈りと断食」となっています。人間の生活への関心、特に食欲を抑えて神様へと思いを注ぎ、神様との対話である祈りに集中することの重要性を教えられま…

「『出来れば』と言うか。信じる者には何でもできる」。

信じるとは、相手にすべてを委ねて、相手の力とその結果を受け入れることです。イエス様は天地万物を創られた父なる神様の御子としての力をお持ちです。父親はイエス様の言葉によって、自分の姿勢が間違っていたことを悟り、息子の回復を心から信じるように…

「おできになるなら・・お助けください」

この息子の病気は、マタイ福音書によれば「てんかん」です。発作が起これば水や火の中、地面の上など所かまわず倒れこむので、いつも命の危険にさらされていました。おそらく父親は、それ迄も多くの医者や宗教家達に診てもらったことでしょう。しかし、今回…

イエス様の嘆き

山の下にいた弟子達は、イエス様から与えられていた「悪霊を追い出す権能」がなくなっており、危機に陥っていたのです。イエス様は、「いつ迄私はあなた方と共にいられようか」と嘆かれました。十字架の時が近いのに、山上に同行した三人の弟子も事の重大性…

はじめに

今日の新約聖書は「山上の変容」の出来事の直後に起こった出来事です。イエス様が、神様からの証しを受けて山を下りるところは、モーセが神様から十戒を授かって山を下りた話を彷彿(ほうふつ)させます。ユダヤの民は、モーセが山へ登った後なかなか戻って…

9章14−29節 

一同がほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた。 群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。 イエスが、「何を議論しているのか」とお尋ねになると、群衆の中のある者が答…

20編2−10 

苦難の日に主があなたに答え/ヤコブの神の御名があなたを高く上げ/聖所から助けを遣わし/シオンからあなたを支えてくださるように。 あなたの供え物をことごとく心に留め/あなたのいけにえを快く受け入れ/あなたの心の願いをかなえ/あなたの計らいを実…

神の子として自由に生きる道

「諸霊」の奴隷であれ、「律法」の奴隷であれ、不自由な奴隷状態の中にいた私達を救い出し、神の子としての自由を与える為にイエス・キリストは神様から遣わされてきました。私達は御子によって「神の子」とされ、イエス様と同じように神様を「天の父よ」と…

イエス・キリスト派遣の目的

神様が、御子イエス・キリストを私達のもとに遣わして下さったのは、「律法の支配下にある者を贖い出して、私達を神の子となさる為」(5節)でした。本来なら神のもとにおられたイエス・キリストだけが神の御子であられたのですが、神様は私達人間をも神の子…

未成年から成人へ

そのような束縛された生き方を、今日読んだガラテヤ4章3節では「未成年」という表現を使っています。3節には「同様に私達も、未成年であった時は、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました」とあります。日本では20歳で成人として認められますが、それ迄…

不自由に気付かない

私達は、聖書の神様(創造主)を知らなかった時、どのような神様を神としていたのでしょうか。パウロの時代、宇宙万物を構成する四つの要素「地水火風」の背後に霊の力があると信じる信仰や、天体(月とか星)に霊の力を信じる信仰、自然界に住みついて自然…

はじめに

本日より、日本キリスト教団の「聖書日課」に従って、礼拝での聖書を取り上げていきたいと思います。これは、英国に本部をもつジョイント・リタージカル・グループが発行する、四年を一つのサイクルとして聖書を読み進んでいくプログラムを土台として、日本…

4章1−7節

つまり、こういうことです。相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても僕と何ら変わるところがなく、 父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にいます。 同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕え…

7章6−11節

あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。 主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のど…

「復活まで、今見たことを誰にも話してはいけない」

イエス様はこの山上の出来事を、他言することを禁じられました。 イエス様はご自分が、「苦難の僕(イザヤ書53章)のメシア」であることを知り、それは出来れば避けたいと思われるほど苦しく辛いことでしが、父なる神様のご計画に、従順に従うことを決意され…

理解して信じて聞き従う

イエス様と共にいた弟子達は、この出来事の証人となる恵みを受けていますが、意味は理解せず恐れの中にいました(6節)。弟子達は直前にイエス様が語られた、「苦難の僕」の道をイエス様が歩まれる、ということを理解し、受け入れることが求められ、神様から…

変容

「変容」とは、イエス様の姿が「変わり」(2節)から取られている言葉で、外見だけでなく中身も変わることです。「服は真っ白に輝き(3節)」となっていることから、イエス様が「神的存在」になっておられると理解できます。更に「エリヤがモーセと共に現れ…

はじめに

「山上の変容」という題は、何のことか想像しにくいと思いますが、「イエス様が高い山で姿を変えられた」出来事をいいます。その高い山に、イエス様は、核となる三人の弟子を連れて何かをなさろうとしていることに思いを巡らせてみたいと思います。

9章2−13節

六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、 服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。 エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。 ペ…

3章19−24節

見よ、その日が来る/炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者は/すべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには/義の太陽が昇る。その翼にはいや…

「主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。」(6節)

「主の家」とは礼拝のことです。どのような建物や場所であろうとも、そこで礼拝がなされるところが主の家であり、私達の帰るところです。この23篇を読むことによって、私達はキリストが近くにおられることをもう一度思い起こすことが出来るのではないでしょ…

「命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う(6節)

「恵みと慈しみ」とは、キリストご自身のことです。キリストご自身が恵みと慈しみを垂れているのです。「私を追う」とは執拗に付け回すことです。恵みと慈しみであるキリストは私共のそばにいる。私共を追っている。これは聖餐に劣らない神の恵みであり、キ…

「わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる(5節)。 

これは、私達にキリストの最後の晩餐を思い起こさせます。キリストは十字架にかかる前の晩、パンと杯を下さった時、「これは私の体である。これはあなた方の為に流す私の血、契約の血である。」と言われました。「香油を注ぎ」は祝福です。パンとブドウ酒を…

「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭(むち)、あなたの杖 それがわたしを力づける。(4節)

これは具体的にはどういうことを背景にしているのでしょうか。「ダビデの詩」(1節)とありますから、ダビデに寄せて作られた詩と考えて見ると、ダビデ王が直面した苦しみ、災い、死の陰の谷を考えて良いかもしれません。ダビデ王は王の中の王と言われながら…

「主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる」(3節)

それは、「青草・・」と「死の陰の谷・・」の間にある「主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる」という言葉です。私達はこの意味を考えなければなりません。「正しい道に導かれる」を、キリスト者として最後に大事なことがあると語ったフィリピ書…

「主(キリスト)は、わたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる」(2節)

死の陰の谷、死の危険もある。それにもかかわらず「何も欠けることがない」と満足している理由は、「キリストは、わたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる」からです。これは、 羊と羊飼いとの典型的な姿でしょう。この…

「主はわたしの牧者(口語訳)「私には何も欠けることがない。」(1節)

聖書はしばしば「私とキリストとの関係」を「羊飼いと羊」に譬えて記しています。たとえば「わたしは良い羊飼いである。(ヨハネ福音書10:11)や、99匹の羊を残して迷える羊を探す羊飼いの話(マタイ福音書18:12−)があります。しかし中でもこの23編が良く…

はじめに

3月11日に起きた地震、津波、そしてその結果である放射能汚染、そういった事柄を私共はどういうふうに聖書の御言葉によって理解するか、どう受け止めるか、そういうことが私達に課せられていると思います。これらの出来事を理解し受け入れるということについ…

4章5-8節

あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 そうすれば、あらゆる人知を超える神の…