「主はわたしの牧者(口語訳)「私には何も欠けることがない。」(1節)

聖書はしばしば「私とキリストとの関係」を「羊飼いと羊」に譬えて記しています。たとえば「わたしは良い羊飼いである。(ヨハネ福音書10:11)や、99匹の羊を残して迷える羊を探す羊飼いの話(マタイ福音書18:12−)があります。しかし中でもこの23編が良く知られています。今朝は23編を読んでいきたいと思います。
 
冒頭に「主はわたしの」とあります。主とはイエス・キリストのことです。キリストは「私の」羊飼いです。キリストは私達一人一人に、どのような羊飼いとして立っておられるのでしょうか。先ず「私には何も欠けることがない。」と言われています。すべてが満足出来ていると理解することが出来るでしょう。安全である、安心である、という気持もそこにあるかもしれません。しかし内容を読んでいきますと、現実の世界において死の恐れとか苦しみとか、そういうものがないわけではありません。現実の生活では、私を苦しめる者がいる、死の陰が迫っている、災いがあるとも書いてあります(4節5節)ので、「何も欠けることがない」というのはどういう意味かを理解することが、23篇の重要な課題といえるでしょう。