はじめに

3月11日に起きた地震津波、そしてその結果である放射能汚染、そういった事柄を私共はどういうふうに聖書の御言葉によって理解するか、どう受け止めるか、そういうことが私達に課せられていると思います。これらの出来事を理解し受け入れるということについて、聖書のどの御言葉で理解するのか、二つの典型的な考え方、受け取り方があるように私には思えます。その一つは「神の怒り」です。人間の罪、人間の傲慢。それに対する神の怒り、として受けとめる考え方です。その根拠として、詩編18:8やイザヤ書13:11、13などの御言葉があげられます。


「主の怒りは燃え上がり、地は揺れ動く。山々の基は震え、揺らぐ。」(詩篇18:8)。


「わたしは、世界をその悪のゆえに 逆らう者をその罪のゆえに罰する。 また、傲慢な者の驕り(おごり)を砕き 横暴な者の高ぶりを挫く(くじく)。」(イザヤ書13:11)。


「わたしは天を震わせる。大地はその基から揺れる。万軍の主の怒りのゆえに その憤りの日に。」(イザヤ書13:13)。


それに対してもう一つの見方があります。その根拠として詩編46:3、4、8・イザヤ54:10があげられます。
「わたしたちは決して恐れない。地が姿を変え 山々が揺らいで海の中に移るとも 海の水が騒ぎ、沸き返り その高ぶるさまに山々が震えるとも。 万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦(とりで)の塔。」(詩編46:3、4、8)。


「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。 しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと あなたを憐れむ主は言われる。」(イザヤ書54:10)。


きわめて対照的な聖書の言葉であります。私は今回の出来事を、後者の御言葉で受け取ってよいのではないかと思います。

今朝、読んでいただいたフィリピ書「主はすぐ近くにおられます。神の平和が、キリスト・イエスによって守られるでしょう。」と、詩編23編「主はわたしの牧者」との御言葉は、「万軍の主はわたしたちと共にいます。」「主の慈しみは移らず 揺らぐことはない。」という旧約聖書の内容をさらに深めることができるのではないかと思います。