2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧
当時人々は律法に従い、羊皮紙に書かれた4つの聖句(出エジプト記13:1−10,11−16、申命記6:4−9、11:13−21)の入った小箱をひもで結び、祈る時にひたいと左の腕につけ、又、肩掛けのようなものに青いひもでふさをつけて祈りました。イエス様は「(彼らは)…
聖書学者バークレーは、もし宗教が規則や規定を守ることだけを要求するなら、自分がそれをどんなによく守っているか、自分はどんなに敬虔な人間であるかを人前に示そうとする人物が必ず現れるといいました。目立ちたい、ほめられたい、認められたい、尊敬さ…
彼らは、人には律法遵守(じゅんしゅ)を要求しながら、自分は重荷を背負うことも、他の人の重荷を助けようともせず、何よりもイエス様が断罪されたのは律法を行う動機が人に見せる為であったことです。
彼らは、すべき規則248、禁止条項365、計613もの細則を人々に強いたと伝えられています。初めから律法を守る意志のない人達は、罪人として社会から疎外されたようですが、律法を守ることが天国への道だと教えられている人々にとっては実行不可能な規則も多く…
イエス様は彼らの行動を見倣うことを禁じます。なぜなら彼らは言行不一致であるからです。たとえば十戒に「安息日を心に留め、これを聖別せよ。・・いかなる仕事もしてはならない」(出エジプト20:8)とあります。律法学者やファリサイ派は、この戒めを厳格…
イエス様は、律法学者やファリサイ派の言うことは行うように教えます。なぜなら彼らの教える律法は、神様がモーセを通して与えたものであるからです。律法とはモーセの十戒を中心とした教えです。イエス様は「私が来たのは律法を廃止する為ではなく完成する…
本日の聖書は、イエス様が群衆と弟子達に対して、律法学者達やファリサイ派の人々を見倣ってはならないことを教えられている個所です。私達はファリサイ派や律法学者と聞くと、彼らはイエス様を十字架へ追いやっていくイエス様に敵対した人々と考えて、自分…
1 それから、イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。 2 「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。 3 だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しな…
1 ハンナは祈って言った。「主にあってわたしの心は喜び/主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き/御救いを喜び祝う。 2 聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。岩と頼むのはわたしたちの神のみ。 3 驕り高ぶる…
復活の主に出会うという体験は、すでに初代教会の人達も実にさまざまでした。パウロは手紙で「私は主を見た。恵みによってキリストを私の内に示して下さった。」とありますし、使徒言行録には、ダマスコに向かう迫害者パウロが主に出会って徹底的に地面に打…
「主が死の力に打ち勝ってよみがえられた。」「主は勝利をされた。」「十字架に架けられた主が三日目によみがえった。」そのことについて聖書はいろいろな証人の話を伝えています。説教者が出来ることは、その証人達の姿や体験を言葉でもって指し示すことし…
しかし問題は、「復活した主を信じている」というだけではなくて、「復活した主が今も生きて働いておられる」「教会として働いておられる「私達に語りかけておられる」ということをどれだけリアリティをもって感じることが出来るのか、そこからどれだけ信仰…
さて、復活の証人達が復活の主に出会った出来事から二千年近い年月がたっています。最初の証人達の姿でもわかるように「主が復活された」「死からよみがえられた」ということを信じることは古代の人達ですら難しかった。そのことは今も昔も変わらないのでは…
主の顕現の物語では、顕現に接した人々は初めそれが主であることが分らない。しかしそれが何らかのきっかけで、何らかのことが手掛かりにそれが主であるとわかり一転して喜びに満たされる。こういう姿を繰り返し伝えています。たとえば20章の後半には復活の…
マリアに対して、復活したキリストご自身が姿を現した出来事を伝えているのが今日の聖書の個所です。主の遺体があった所に、二人の白い衣を着た天使がいた。その一人が「婦人よ。なぜ泣いているのか」と尋ねたとあります。天使という超自然的な存在が出てく…
「主のご受難そして死と復活」については、エルサレムに向かう途上で、イエスご自身、弟子達に三回も繰り返し教えていました。つまりエルサレムでは祭司長、律法学者、長老達から苦しみを受け、殺され、しかし三日目に復活する、と繰り返し語られていたけれ…
墓のタイプの一つは崖っぷちの所に横穴を掘り、その中に寝台を置き、遺体を寝かせます。エルサレムには二千年前に遡る墓も残っていますが、その扉の入口には車輪のような大きな石が置いてあり、ころがして開けたり閉めたりします。私は試しに墓の石を押して…
今日のヨハネ福音書は、主が十字架につけられ亡くなり、墓に葬られ、その後の週の初めの日(日曜日)の早朝、まだ暗い内に、マグダラのマリアが復活の主に出会った有名な出来事が記されています。ヨハネ福音書は特に主の復活の証人としてのマグダラのマリア…
今日は旧約をエレミヤ書から選びました。この個所は預言者エレミヤに神様の言葉が臨み、万国の預言者として立てられるということを語った個所です。そのすぐ後に神様はエレミヤに「何が見えるか」と尋ね、彼は「アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。…
11 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、 12 イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。 13 天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか…
11 主の言葉がわたしに臨んだ。「エレミヤよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。」 12 主はわたしに言われた。「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと/見張っている(ショーケー…
本日はしゅろの日曜日(パームサンデー)です。イエス様がエルサレムに来られると聞いて過越の祭りに来ていた大勢の群衆が、なつめやしの枝をもって迎えに出たことが記されています(ヨハネ12章)。当時、イエス様の名声を伝え聞いていた人々は、熱狂的にイエ…
36 それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。 37 ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。 38 そして、彼らに…
今朝は「ユダの裏切り」と説教題をつけて語ってきました。では今朝の聖書の主人公はだれかと問われるならば、それは神様であり、御子キリストです。私達は、この御子イエス・キリストが十字架への道を歩んでくださったからこそ、今、罪ゆるされ、平安と恵み…
イエス様から「裏切る者は神の裁きを担わなくてはならない」ことを言われた時、ユダはその恐ろしさの前で悔い改めることも出来たはずでした。しかし彼は心を頑(かたく)なにして、自分の秘密が暴露されることの方をより恐れました。彼は知らないふりをして「…
鉢(パンや肉を浸すスープを入れてある器)は手を伸ばすか回すかして会食したので、特定の人を指す言葉ではないようです。人の子(イエス様)がこの世を去るのは、聖書の預言の成就です。イエス様は神様のご計画に従って歩むのみです。即ち、人間の救いのご…
日没後に始められたこの正式な会食の途中で、イエス様は突然12人の弟子達に向かい「あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている。」と言われました。一瞬、時が止まったような、重い沈黙が流れたことでしょう。そしてその沈黙に耐えられず誰かが口を開…
今日の聖書の20節からは過越の食事の場面の出来事が記されています。過越の祭りは、昔イスラエルの民がエジプトで奴隷として苦しんでいた時に、神様の大きな恵みと憐れみによってモーセという指導者が与えられ、エジプトを出て自由の民とされた、その「出エ…
12弟子の一人ユダが祭司長のところに行き「あの男(自分の生涯をかけて今まで従ってきた主イエス・キリストのこと)をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」(15節)と尋ねました。居場所を探す敵方の当局に、ユダはイエス様の身柄を引き渡す用意がある…
14 そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、 15 「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。 16 そのときから、ユダはイエスを引き渡そ…