生れながらの人間

 聖書学者バークレーは、もし宗教が規則や規定を守ることだけを要求するなら、自分がそれをどんなによく守っているか、自分はどんなに敬虔な人間であるかを人前に示そうとする人物が必ず現れるといいました。目立ちたい、ほめられたい、認められたい、尊敬されたいという願いが強ければ強いほど、人の目を意識する誘惑に陥ります。生れながらの人間は、自分を自分以上に評価したい、されたいとの願いを持っています。その思いが「行動の基準を、外面に出る部分に置く」のです。本来、律法を守る事は神様に向かう人間の信仰から生まれる行為です。にもかかわらず、律法を守る行為が自己目的へと変わり、人々の賞賛が自分に集まることを期待するという逆転が起こるのです。