2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「捨てた石が隅の親石となる」

たとえでは、農夫達は送られてくる主人のしもべを殺してしまいます。主人は自分の息子なら敬ってくれるだろうと思い、最後に息子を送ります。これこそ父なる神様が人間を救いたいという愛ゆえに、この世に送った御子イエス様のことです。ところが自分達の利…

農夫 

イエス様は、旧約聖書と同じ背景を使いながらユダヤ教指導者達を、「ぶどう園の農夫」にたとえました。最初にぶどう園の主人が、いかに智恵を使い愛情をかけてぶどう園を造ったのか、手順を挙げて表現しています。「主人」はこの世を造られた神様と考えて良…

ぶどう園

「ぶどう園」と言えば、イスラエルの人々はイザヤ書5:1〜7を思い出したことでしょう。「ぶどう園を心をこめて造った人」とは「神様」です。「ぶどう」は、「イスラエルの民」です。「ぶどうの良い実」とは「イスラエル民族の神様(ヤハウェ)への信仰」であ…

はじめに

ユダヤ教指導者達は、イエス様のなさった「宮清め」だけでなく、神の御子にしかできないイエス様の力ある業や説教や癒しによって、群衆の尊敬が、自分達からイエス様へと移っていくことへの嫉妬や敵意がうずまいていました。しかも群衆は、イエス様を通して…

マルコ福音書12:1−12

イザヤ書5:1−7

恵みによって召し出す神

神様を良く知らない時は、何でも自分の意志や考えでやっていけると思います。しかし信仰が与えられ、神様のご計画があることを知らされた時、私達はエレミヤのように、そしてパウロのように従わなければなりません。又、神様の御計画を知りたいと願い、祈る…

ユダヤ教とキリスト教

ユダヤ教で最も大切にされるのは「律法」です。律法を守ることこそ救いの道であり、天国に行く道でした。ユダヤ人の「シェマー」と呼ばれる基本的信仰告白は、「聞け、イスラエルよ、我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽…

「母の胎内にある時から選び分け」

そして、今日のガラテヤ書でも、パウロがこのように言っています。「しかし、私を母の胎内にある時から選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子を私に示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた」(2:15)と。パウロ…

今、読んでいただいたエレミヤ書には、若き日にエレミヤに臨んだ神様の言葉が記されています。それは「私はあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生れる前にわたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた。」というものでした。この時エレミヤは、「わたしは若者にすぎません」と、神様からの召命を拒みますが、神様は「若者にすぎないと言ってはならない。誰のところへ遣わそうとも、行って私が命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。」と語りました。

ガラテヤ書1:11−24

エレミヤ書1:4−8

イエス様の愛による支配

イエス様は、神様の真実の前に、正直に答えようとしない宗教的指導者達との問答をこれで終りにされました。この世の権威は自分の利益や名誉を求めて他人をどこまでも押さえつけようとします。 この世の全ての権威を持っておられながら、忍耐強く、仕える愛で…

「分からない」

神様の約束の預言と実現としての洗礼者ヨハネ。そのヨハネが「この人こそ救世主」と証ししたのがイエス様でした。それなのに、ユダヤ教指導者達は人間的判断で、イエス様を「救世主」と認めませんでした。もしヨハネを、神様からの権威が与えられていたと認…

「ヨハネのバプテスマは天からのものか、人からのものか」

イエス様は、この問いに答える条件として、「ヨハネのバプテスマは天からのものか、人からのものか」を答えるように求めました。ユダヤ教指導者達は、祭司階級にあることに誇りを持ち、その価値観に従うなら、洗礼者ヨハネこそ祭司階級の両親を持ち、救世主…

「何の権威で」「誰が権威を与えた?」

イエス様は宣教の初めから、権威ある者として他のユダヤ教指導者達とは違っており、ファリサイ派の人々はその凄さを悟り、自分達が生き残るには、もはやイエス様を亡き者にすべきであると動き始めました(3章)。それまで自分達の教えをありがたく受けていた…

はじめに 

今日の新約聖書は、イエス様が過越祭のためにエルサレムに入られて、三日目の出来事です。一日目、イエス様は祭りで集まってきたイスラエル人達に救い主として大歓迎を受けました(11:1−11)。二日目は、「宮清め」(エルサレム神殿が本来なら「祈りの家」…

「主イエスの権威」  伝道師 平賀真理子

民数記16:1−7 マルコ福音書11:27−33

神の作品として生きる

口語訳で10節には、「私達は神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日をすごすようにと、あらかじめ備えてくださったのである。」とあります。 私達はそのように造られてい…

恵みにより、信仰によって救われる

今、私達が生きている世界が終った後に、神様の創られた世界が完成する時がやって来ます。神様はイエス・キリストを私達に遣わして下さり、その死によって、私達の罪を贖って下さいました。その限りない豊かな恵みは、来るべき世において、栄光を受けられた…

キリスト・イエスによって共に復活する

神様を畏れないこの世の支配者、サタンとか悪とか呼んでいますが、その霊に従って、肉体の欲望や心の欲望のままに行動した結果、生まれながらの人間は、肉体は生きていても死んでいるということです。 ではどうしたら死から命に向かうことができるのでしょう…

私たちは死んでいた!

今日読んでいただいたエフェソの手紙2章の1節には、突然、今生きている人に向かって「あなたがたは死んでいた」との言葉が出てきます。 さらに「あなた方は過ちと罪を犯して歩んでいた」「わたしたちも皆、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした」とあり…

はじめに 

私達は、自分の生きている世界のことを何となくわかっているような気になっていました。しかし大震災で、私達を取り巻く環境が一変した時、実はそうではないこと、私達人間の想定範囲は、きわめて限られたものであったことが明らかになりました。多くの命が…

2章1−10節

36章6−10節

「誰でも水と霊とによって生れなければ、神の国に入ることはできない。」

水と霊は新しい人を生み出します。その時人は、神様によって定められた生命力をもちます。新しく生れるとは、バプテスマの水を通して神様の赦しの領域に移されることです。神様が恵みをもってその人に近づく時、人は内側から捕えられ、形作られていきます。…

新たに生れる

ニコデモは、「自分はイエス様を正しく理解している」と過信していました。けれどもイエス様は、「神様が、人間に対して行うことを理解する為には、あなたがまず新しく誕生することがなければならない」と言われたのです。人は、自然の誕生のままで神の国に…

心の自由と不自由

人はなぜストレートに自分の確信に従って行動出来ないのでしょうか。それは、人の目、人の噂を気にするからです。自分が良いと思うことを良い、悪いと思うことを悪いと言えるのは、その人の中に自由が確保されている時です。しかし、言うべきだと思うことを…

ニコデモの訪問

今日の聖書に登場するニコデモは、議員であり、ユダや教の中でも厳格なファリサイ派に属していました。ユダヤ教徒(特に指導者達)は、イエス様に対して距離を置いていました。二節には、ニコデモがイエス様を訪ねて来たのが夜であったことを記しています。…

はじめに 

今年度の御言葉は、「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生れなければ、神の国に入ることはできない。肉から生れた者は肉である。霊から生れたものは霊である。」です。元旦礼拝では、毎年「その年の聖句」を学んできましたので、今日も、この御…