心の自由と不自由

人はなぜストレートに自分の確信に従って行動出来ないのでしょうか。それは、人の目、人の噂を気にするからです。自分が良いと思うことを良い、悪いと思うことを悪いと言えるのは、その人の中に自由が確保されている時です。しかし、言うべきだと思うことを人前で言えず、こっそり言いに来るのは、その人の心が不自由な状態に置かれています。ニコデモは、人々の判断や、この世の栄誉を気にしながら、その一方で、自分の心の中に生れたイエス様への信頼を伝えるべきだと考えたようです。

人間に対しても神様に対しても、両方に心が向いているニコデモを、イエス様はすべて見通された上で、暖かい忍耐をもって迎えます。ニコデモは「ラビ(先生)、私共は、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、誰も行うことは出来ないからです」と言いました。

その言葉に対して、イエス様は、「はっきり言っておく。人は、新たに生れなければ、神の国を見ることは出来ない。」と言われました。