2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

第三の誘惑

最後に悪魔は、イエス様に、この世の権力・富・地位や名誉、あらゆる繁栄と引き換えに、悪魔を拝めと誘いました。これこそ悪魔そのものの正体です。イエス様は、申命記を引用して答えられました「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ。」(6:13)。 …

第二の誘惑

次に悪魔は、イエス様に、神殿の高い所から飛び降りるように誘いました。「あなたが神の子であるなら」神の守りが必ずあることを、悪魔は聖書(詩編91篇)を引用して保証したのです。もし実証されたならば、人々もイエス様を神の子として認めるだろうとの誘…

第一の誘惑

イエス様が40日40夜の断食後、悪魔から、「あなたが神の子であるなら」石をパンに変えてみよと誘惑されました。悪魔は空腹のイエス様に、神の子である証明として、空腹を満たすパンを求めました。世の人々がそれを見るならば、大勢の人々がイエス様のもとに…

悪魔の誘惑

今朝の聖書は、イエス様が、悪魔から誘惑を受けられて勝利された箇所です。悪魔は存在し、目には見えませんが人々の心を神様から引き離そうと日々活動しています。旧約聖書ではヨブ記で、新約聖書では、悪魔サタンが弟子のペテロやユダの心に入ったと記され…

ユダヤ人の、信仰の継承

選民(神様に選ばれた民)であるユダヤ人は、神様の教えを忘れず、代代子供達にも伝え続けています。申命記には、「今日、私が命じるこれらの言葉(律法)を心に留め、子供達に繰り返し教え、家に座っている時も道を歩く時も、寝ている時も起きている時も、…

はじめに   

私達は毎週日曜日、礼拝をささげます。礼拝では神様を賛美し、過ぎた一週間を振り返り、感謝と共に、神様に従い得なかった罪を悔改めます。悔い改めによって私達の罪は、イエス様の十字架の死による「贖い」により、神様から赦しが与えられていることを信じ…

マタイ福音書 4:1−11    

申命記 8:1−10

聖餐

聖餐は、イエス様が最後の過越の食事の時に、「パン」を「主の体」、「ぶどう酒」を「主の血」として「わたしの記念として行いなさい」と言われたことから、キリスト教会では洗礼と共に約2000年間守られています。洗礼は、自分ではどうしてもぬぐえない自分…

罪が赦され、清くされるために

神様の前に罪を償おうとすれば、人は、「命をもって」償わなければなりません。旧約の時代は、それが動物の血で肩代わりされていました。しかし、イエス様が来られたのは、何回も繰り返される動物の犠牲ではなく、ただ一回限り、罪のない神の御子・イエス様…

新しい契約

エレミヤ書によれば、新しい契約を結ぶ民は、「神様の律法を胸の中に授かり、心に記される」人々であり、「主を知っている」者です。それは、一人一人の心の中で起こされる信仰によるものです。新しい契約を結んだ人々に対して、神様は「その悪を赦し、再び…

御子の誕生

神様は、御自身がどのような方であるのか(義や知恵や愛など)を、イエス様の御言葉や歩みによって、人間に分かるように知らせようとされました。しかし本当の意味で、弟子達も民衆も、イエス様をしっかりと認識して受け入れることは出来ませんでした。それ…

人間の神への不信仰と、神の愛

初めの契約が破られた人間側の「罪」とは、出エジプトへと救い出して下さった唯一の神様を、イスラエルの民は信じ続けることが出来ず、近隣の土地の偶像の神々への信仰に陥り、又、守るべき律法(十戒など)を守り続けることが出来なかったことです。神様は長…

はじめに  

イスラエルの民は、神様が本当に自分達の救いの為に「エジプトからの脱出」の出来事を通して働いて下さったことを覚えて、「過越祭」を代々、祝ってきました。先祖の困難に思いを馳せ、神様の偉大な助けと導きを感謝し続けたのです。そして又、イエス様が、…

マルコ 14:23−26

エレミヤ 31:27−34

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」

二つ目は、イエス様の、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」というお言葉です。ペトロは、イエス様への信仰があったにもかかわらず途中でおぼれかけました。強風に心が奪われた時、自分の危険も感じたのです。疑うとは、一つの状態ではなく二重の状態になっ…

「いつも共にいる」

今日の聖書から、私達は二つのことを学びたいと思います。一つは、イエス様が不在の時であっても、信じる者と共におられるということです。 イエス様は、やがて御自分が十字架にかかり、復活して神のもとに帰られて、弟子達の目の前からいなくなる日が来るこ…

「そちらに行かせてください」

このイエス様の言葉で、舟にいた弟子達の恐怖は取り去られ、どんなに安心したことでしょう。ペトロは早速、自分もイエス様の所に行きたいと、イエス様に願い出ました。イエス様の命令さえあれば、自分も同じように湖の上を歩くことが出来、イエス様の所に行…

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

夜明け頃、イエス様は湖を歩いて弟子達の舟のところに来られました。弟子達は湖上の人影を見て「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖の叫び声をあげました。未だかつて経験しないことが目の前に起こった時、私達人間はパニックに陥り、どうして良いかわからず、自…

はじめに   

イエス様は多くの場合、いつも弟子達と一緒でした。しかしこの時は、一緒に舟には乗りませんでした。この直前にイエス様は、五千人の人達に食べ物を与えて、人々が満腹したという奇跡を行なわれています。この後、イエス様は弟子達を強いて舟に乗せて向こう…

マタイ福音書14:22−33    

詩編46:2−8

「主よ、ごもっともです。しかし・・子犬もパン屑はいただくのです。」

「子犬もパン屑はいただく」との女性の応答に、イエス様は「あなたの信仰は立派(大きい・偉大だ・見上げたもの)だ。」と、大変喜ばれました。それは、女性がイエス様の言葉をすべて正しいと受け入れた上で、もし子供も食べて満腹し、その子供が落としたパ…

「子供達のパンをとって子犬にやってはいけない」

神様は、「御自分の民」として選んだイスラエルの民を救い出す為に、イエス様を地上に送り、神様のもとに立ち帰らせようとされました。イエス様の救いは「イスラエルの民」に限定して、そこに集中されました。しかしカナンの女性は大胆にも、今度はイエス様…

「イエスは何もお答えにならなかった。」(23節)

女性はイエス様達一行から離れようとせず、叫びながらついてきます。これに困った弟子達がイエス様に解決を求めますと、イエス様は、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない。」と答えられました。「失われた羊」とは、旧約…

「私を憐れんで下さい」

ところがこの地方に来た時、イエス様は「主よ、ダビデの子よ!」と、その地に生まれたカナン人の女性に呼び掛けられました。「ダビデの子」とは、救い主はダビデの子孫から生まれるとの信仰により、救い主・メシアを意味する言葉です。この女性は長い間、娘…

はじめに   

今日の聖書の前半には、ユダヤ教指導者達が首都エルサレムからやって来て、イエス様の弟子達が「昔の人の言い伝え」を破り、食事の前に手を洗わないことを非難したことが記されており、今日の箇所は、そのようなことがあった後の出来事です。イエス様は、ゲ…

マタイ福音書15:21−28    

詩編103:6−13