2007-01-01から1年間の記事一覧

いちじくが枯れた奇跡

弟子達がイエス様にいちじくが枯れた理由を尋ねますが、イエス様はそこから「実を結ぶ信仰」について教えられます。人間の常識では不可能と思えることでも神様の力に信頼するならば、それは成るということです。イエス様はてんかんで苦しむ息子を連れてきた…

「今から後いつまでも、お前には実がならないように」

ここで実をつけていないいちじくを呪われたのは、イスラエルの民が、(直前に記されているように)エルサレム神殿を礼拝の場所ではなく商売の場所へと堕落させてしまっていること、更にイエス様をメシア・救い主として受け入れようとしないことへの裁きの言葉…

いちじくとは・・

旧約聖書ではイスラエルをいちじくで象徴する例が出てきます(エレミヤ24章・8:13・ホセア9:10)。ミカ書にはイスラエルの民の腐敗に対する嘆きの言葉にいちじくが出てきます。「悲しいかな、私は夏の果物を集める者のように ぶどうの残りを摘む者のように…

いちじくの木を呪う

本日の聖書は、朝早い途上でイエス様が空腹を覚えていちじくを見たけれども実をつけていなかったので、イエス様がその木を呪われていちじくは枯れてしまった、という個所です。マルコ福音書には「いちじくの季節ではなかったから」と説明があります。季節で…

はじめに

本日は今年最後の日曜日(聖日)です。しかし教会暦から言いますと新年は12月2日の待降節から始まっており、本日は降誕節の最初の日曜日です。(教会暦は、待降節−降誕節−受難節−復活節−聖霊降臨節と五つの節に分けられ、待降節は11月30日に最も近い日曜日か…

21章18−22節

18 朝早く、都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた。 19 道端にいちじくの木があるのを見て、近寄られたが、葉のほかは何もなかった。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、いちじくの木はたちまち枯れてしまった…

和解の福音

今年も国内でも海外でも,まことに悲惨な事件が相次ぎました。一昨年ドイツから来た友人が日本に着いて「ストレス社会」という言葉を口にしました。皆、追われるようにして自分一人の幸せを追いかけて、他人を思いやる、一人一人を大切にする、神様によって創…

神の言葉

イエスを拝した彼らは、まるで急いで舞台から消えていくように、再び自分の国に帰っていきました。その時故郷で輝いたあの光はもうそこにはありませんでした。聖書はこれをこう伝えています。「ところが『ヘロデの所へ帰るな』と夢でお告げがあったので・・…

御子イエスの誕生

世のクリスマスはイルミネーションで飾りつけられ賑わっています。しかし聖書の示す御子イエスの誕生とは、そうした華やかなものとは無関係でした。御子イエスはこの世に、この世をあがなう為に来られたのです。神と人とを結びつける為に、神が人と共に生き…

神の歴史の中に入っていこうとしなかった人

占星術の学者達はイエスと出会い、神の歴史の中を入っていきましたが、神の歴史に入っていこうとせず、これを否定し自分の歴史を変えて押し広げようとした(その為、占星術の学者達と幼な子イエスとの出会いを妨げようとした)人がおりました。当時のユダヤ…

神なき所から神と共に生きることへ

こうして占星術の学者達はその遍歴の旅を通して、それ迄自分達と何の関係もなかった御子イエス・キリストとかかわりを持ち始めます。神の救いの歴史の中に入っていったといっても良いでしょう。神の救いの歴史に彼らが入っていくということは、反対に神の救…

その方の星を見た

聖書には、占星術の学者達が星に導かれて、エルサレムの町の中心に突然あらわれたと書いてあります。彼らが口にした言葉は「私達は東方でその方の星を見たので」。これが、彼らをして何千キロの旅をさせた理由でした。「星を見たので」・・たったこれだけで…

不思議な出会い

聖書によれば、その夜、幼な子イエスのもとに、不思議な星の導きにより東の方から占星術の学者たちが来て、幼な子を拝し、宝の箱を開け黄金、乳香、没薬を贈り物として献げるということが起こりました。御子イエスと占星術の学者達との不思議な出会い・・人…

はじめに

今日の聖書には、「羊飼い達」は出てきません。その代わり「占星術の学者達」が登場します。又、救い主の誕生を告げる「天使の声」はなく、その代わり「一つの星」が現れます。しばしば起こることは、こうしたものが私達の頭の中で(一つの画面の中に)まと…

 2章1−12節

1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝…

心にある思いがあらわにされる

シメオンは、神様の救いは「異邦人を照らす啓示の光」であると語り、マリアにはイエス様の将来を予告し、彼の存在は「多くの人の心にある思いがあらわにされる為」と語りました。イエス様は暗闇に生きる私に神様を伝える光として来られました。ヨハネ福音書…

シメオン

聖書は彼をこのように紹介します。「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた」。シメオンが聖霊に導かれて…

救いのご計画

多くの民族の中から神様はユダヤの民を「神の民」として選ばれ、人類に対する救いのご計画を預言者を通して明らかにされていました。救い主が与えられるという約束です。メシア(救い主)はエッサイの家系から出ると預言されておりました(エッサイはダビデ…

はじめに

3本目のローソクに火がともりました。待降節の第一週目にともされた最初のローソクは、待つ時間の長さを表すようにずいぶん小さくなりました。私達にとって待降節の「待つ」という意味は、クリスマスを待つというよりもイエス様が再びおいでになる「再臨を…

 2章21−35節

21 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。23 …

私達の教会生活

私達は今日の聖書から、毎週礼拝に教会に向かう時の自分の意識を吟味したいと思います。「祈りの家に行く」との思いで毎週来ているのか、又、ここでの礼拝が、神様の前で悔い改めの時、ゆるしをいただく恵みの時、感謝をささげる喜びの時、祈る力をいただく…

イエス様の教え

イエス様はイザヤ書56:7とエレミヤ書7:11を引用され、「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちは それを強盗の巣にしている。」と言われました。彼らが神殿に依存しているのは神への祈りの為ではなく、神殿があたかも強盗の…

神殿は祈りの場所

神殿(教会)は神の家です。神殿で人は神様に心と思いを向けます。神殿での仕事は祈りです。人は、神様が自分と共にいて下さり、祈りを聞いて下さり、神様の憐れみといつくしみの中に自分が置かれていることを確信して神様と語るのです。神殿の境内で商売を…

神経をマヒさせる日常の光景

イエス様が神殿でご覧になったのは、動物や鳩を売り買いする人々、両替人の台がずらりと並び、そこでお金を計算し取引する人々でした。おそらく動物の鳴き声や人々の声の飛び交う騒々しいこれらの光景は、イスラエル人にとっては見慣れた姿であったのでしょ…

神殿における売買

イスラエルの人々にとって神殿は大変大きな存在でした。過越しの祭りや、仮庵の祭り、七週の祭りなどの大きなユダヤ教の祭りの時には世界各地からエルサレムに集まり、犠牲の捧げもの(牛や羊、貧しい人は鳩)をささげました。これらは聖なるものとして無傷…

宮清め

今日の聖書は「宮きよめ」と呼ばれている大変有名な個所でもあります。平和の象徴である「ろば」に乗ってエルサレムの町に入られたあの柔和なイエス様が宮にいた人々を追い出された、という出来事に私達は驚かされます。イエス様のご生涯においてこのような…

はじめに

本日、待降節第2週目に入りました。先週、キャリー牧師が説教で語られたように、「待降節は多忙な日々をスローダウンして平静になり、『誰が現実にすべてを支配しているか』を思い起こす時」として過ごし、父なる神様が、私達を罪の支配から救い出す為にイエ…

 21章12−17節

12 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。13 そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/…

今日、皆さんんと共にあることは、私の大きな喜びです。今回の日本訪問は、私の最初の日本訪問であり、日本のクリチスチャンと一緒に礼拝すること、ましてや説教をすることは初めてです。今日、私が皆さんと共にあることは、とても光栄です。ありがとうござ…

 2章1−5節

1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。2 終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい3 多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行…