和解の福音

今年も国内でも海外でも,まことに悲惨な事件が相次ぎました。一昨年ドイツから来た友人が日本に着いて「ストレス社会」という言葉を口にしました。皆、追われるようにして自分一人の幸せを追いかけて、他人を思いやる、一人一人を大切にする、神様によって創られ神様に愛されたかけがえのない人間として私も愛する、ということがなくなった。神を愛するということは神が愛されたものを愛するということでなければならない。国を愛することも大切ですが、隣人を愛するということの方がもっと大切なことではないでしょうか。或いは、社会における虚偽や不正が後を絶たない。真の神がいないゆえに神の前に良心的に生きることが総崩れになっている。それが現代の日本です。或いは、聖書は私達に和解の福音・・つまり私達はすでに他者としての神に受け入れられているということ・・を告げています。そのように、私達も他者に対して心を開き、受け入れるようにと促されています。しかしそれはどうだったでしょうか。あの前の戦争を反省し、アジアの人々と和解と平和に生きるという道をこの国は本当に歩もうとしているのか。ヘロデの権力者の道ではない。殺戮と戦争の道ではない道です。別の道です。武器に頼らない国としての生き方、私達の生き方です。イエス・キリストの中に示された生き方です。一言でいえば、神を愛し、隣人を自分のように愛する道です。暴力や差別を否定する道です。神の言葉が私達に示す道です。どこを見ても星はない。上を見てもだめなのです。神の言葉がこの暗いこの世の中でも輝き、私達に確かな道を示すのです。暗闇に輝く光、イエス・キリストに従って,その御言葉に従って,今から、そしてここから、過ぎゆこうとしているこの年の残りの日々を、そして来たらんとする新しい年を、たとえ暗闇であっても、暗闇が深ければ夜明けは近いのだから、神の言葉に示される道を通って望みの忍耐において歩みたいと思います。20世紀を代表した神学者カールバルトは、1968年12月のアドベントの死の前日、60年来の友人トゥルナイゼンと電話で暗い世界情勢について話し、最後にこういったと伝えられています。「しかし、意気消沈しちゃあ だめだ。絶対に。主が支配したもうのだからね。」 クリスマスから歩む。幼な子イエスから歩む。インマヌエル(神共にいます)から歩む。つまり御言葉から歩むということは、この世の主、教会の主、私達一人一人の主の恵みのご支配のもとで、絶対に望みをなくさないという意味です。それが、今年、このクリスマスに神が私達に語られていることです。