2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟を守るならば、あなたは命を得、祝福される」(申命記30:16)

この御言葉に続く言葉は「聞き従わなければ、必ず滅びる」(同17−18)です。 私達は復活の命をいただいて、命と幸いの道を歩み続けます。

心からの喜び

愛は喜びをつくります。信仰は、神様が私の為にイエス様を遣わして下さったことを確信し、自分の為ではなくイエス様を信じて従っていく生涯へと変えられていき、イエス様に仕えることが喜びとなっていきます。自分を愛し自分の為に生きる者は、自分に出会う…

生き生きとした希望

復活の命をいただいて新たに生まれたクリスチャンには、生き生きとした希望が与えられています(3節)。その希望とは終末に準備されている救いの完成です。その準備された救いを受けるために、私達は、自分の努力や行為によるのではなくて、「神の力により、…

クリスチャンは新しく生れさせていただいた者

今日の聖書に「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生れさせ」(1:3)とあります。クリスチャンは、「罪」によって神様から分離されていましたが、イエス様の血によって罪が赦されて神の子とされたことを信じた時、「復活の命」が与えられて新しく…

血を注ぐ

旧約の時代、人間が犯した罪を神様から赦していただくために、律法に従い、大祭司が人間の代表として、毎日、神殿に動物をいけにえとして捧げ、その血を祭壇に注ぐことが行われていました。しかし神様は、このような形で「罪の赦し」を与えることを終らせて…

はじめに

今日の聖書は、イエス様の弟子ペトロが小アジアのキリスト教会にいるクリスチャンに宛てた手紙です。ペトロは手紙の初めで、クリスチャンのことをこう表現しています。「あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、『霊』によって聖…

ペトロの手紙一 1:3−9  

申命記30:11−20

共にいて下さる神(インマヌエル・マタイ1:23)

今日の旧約聖書で「息子達は帰って来る。あなたの未来には希望がある」と主は保証して下さっています!私達は、神なしに生きていた時の恐怖や孤独から解放され、「共にいてくださる神」が、ぬぐい難い罪や大きな苦難の中にいる私達に、わかる形で最善の道を…

東日本大震災

家族や愛する者を亡くされた方々、家屋財産を失なった方々、故郷に帰れない方々など、避難されている方々が沢山おられます。大震災も又、神様が造られた自然界の壮大さを忘れ、人間の力ばかりに頼る傲慢さ、用心を怠る慢心、行政の無力、自己中心、人間が自…

十字架による罪のゆるし

幼児虐殺の話は、救い主誕生という喜ばしい出来事が、心根の悪い為政者によって悲しい出来事に変えられています。幼児達は人間社会の罪(武力で権力を持つ者の支配を許している大人)の犠牲者といえます。 イエス様の十字架は、まさしくこのことを表していま…

避難

「避難」とは大変な苦難から逃れることです。イエス様の救い主としての歩みは、最初から苦難の連続でした。生まれる前から母胎は旅路にあり、生まれる直前でも両親は宿屋を見つけることが出来ず、お生まれになっても用意されたベッドはなく飼葉桶に寝かされ…

エジプトへ

神様の働きかけはヨセフにもあり、ヘロデ大王の殺害計画を夢で知らされ、闇の中を厭わずに命じられるままにエジプトへと避難します。エジプトは、モーセがイスラエル民族を率いて脱出した異邦人の国です。この「出エジプト」の出来事は、イスラエルの人々に…

幼児虐殺の出来事

メシア誕生のニュースに不安を抱いたヘロデ大王は、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を殺せとの命令を出しました。18節の、「ラケルは子供達のことで泣き・・」というエレミヤ書31:15の引用は、民族の母と呼ばれるラケル(創世記35:16)が、…

はじめに

今日の聖書は、東方の博士の帰国から始まっています。博士達はヘロデ大王とユダヤ教指導者達から「救い主誕生の地はベツレヘム」と教えられたので、人間的判断では帰り道に報告をすべきでしょう。けれども「そうするな」と夢でお告げがあったと記されていま…

マタイ福音書2:13−18

エレミヤ書31:15−17

「正しいこと」とは神様の御心に適うこと

罪を犯していないイエス様がバプテスマを受けるということは、イエス様御自身が、御自分を、罪ある人間の側に身を置かれ、罪ある人間と同じ者としてその交わりに入ることです。フィリピ書には「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに…

イエス様のバプテスマ

バプテスマとは、「浸水する」という意味の動詞からきた名詞です。人々はヨルダン川に身を沈めることによって、自分達は正しいという誇りを捨て去り、神と人の前ではっきりと自分を罪人として表明しました。洗礼が、罪を告白し、悔改めることによって罪の赦…

洗礼者ヨハネに関する預言の成就

旧約聖書イザヤ書40章に「呼び掛ける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを肉なる…

はじめに

今日の聖書は、イエス様がバプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)から洗礼を授けられたことが記されています。 当時人々に洗礼を授けていたヨハネは、神様が私達人間を救う為に御子イエス・キリストをこの地上に遣わされるという救いの御計画の中で大変重要な役…

マタイによる福音書 3:13−17

詩編 89:2−15

「父の家」

イエス様は「神殿」のことを「父の家」と呼んでいます。イエス様が父である神様と強いきずなを持ち、イエス様御自身、イスラエルの成人男子としてこれから何をなすべきかを聖書から(=神様から)聞けるこの神殿は、「父の家」としてイエス様を引きとめる力…

イエス様の言葉の意味

「両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった」(49節)と、あります。イエス様がエルサレムの神殿に残っていたのは、神殿の中庭や広間にはいつも教師がいて、弟子達に囲まれながら教育をおこなっていたので、イエス様はその中に交じって話を聞いたり質問…

再会

両親がイエス様を見つけたのは三日後のことでした。神殿の境内で学者達と話しをしていました。ずいぶん時間が経過しています。その間の両親の不安と心配を考えれば、母マリアの言葉は当然といえます。 「なぜ、こんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お…

エルサレム神殿での出来事

ユダヤ人の男子は12歳になるとイスラエルの民の共同体として神様への奉仕の義務が与えられ、旧約聖書で定められた「戒め」に従う生活を 始めることになっていました。両親が、12歳になったイエス様をエルサレム神殿に連れていかれたのはそのような理由からで…

はじめに

イエス様の両親として神様から選ばれた父ヨセフと母マリアが、与えられた使命をどのように受け入れていったのかについて、聖書は伝えていますが、少年時代のイエス様については今日の聖書の箇所以外にはどこにも記されておりません。ただすぐ前の40節に「幼…

ルカによる福音書2:41−52

詩編34:2−11