血を注ぐ

旧約の時代、人間が犯した罪を神様から赦していただくために、律法に従い、大祭司が人間の代表として、毎日、神殿に動物をいけにえとして捧げ、その血を祭壇に注ぐことが行われていました。しかし神様は、このような形で「罪の赦し」を与えることを終らせて、愛する独り子イエス様をこの世に遣わされました。そして罪を犯されなかったイエス様の、十字架で流された血が、罪をあがなう(贖罪(しょくざい)血となりました。
言い換えれば、動物の血ではなくイエス様の血が、私達の罪を赦していただく「代価」となりました。この一度限りのイエス様の犠牲によりイエス様を神の子と信じるすべての者に「罪の赦し」の道が開かれました。

ヘブライ書にこう記されています。「エスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。・・この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪の為、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。」(7:24−27)。
クリスチャンは、信仰によって、神様から罪を赦していただいた者です。