2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

神様の働き

信仰の賜物も、聖霊が与えられる恵みも、特別な人々だけに与えられるのではなくて、求める者には誰にでも与えられる神の普遍的な祝福であることを、聖書は私達に伝えています。神様の御計画は人間の思いや戸惑いを打ち破って前進していくのです。福音が語ら…

ペトロの説明

ユダヤ人の律法では、異邦人(律法を持たず、汚れた者)との食事は自分達を汚(けが)す行為として禁じられていました。非難を受けたペトロは、相手が分かるように、事実を順序正しく説明していきました。その結果、「この言葉を聞いて人々は静まり、『それ…

異邦人への聖霊降臨

この福音は、初めはユダヤ人に限られて伝えられておりました。しかし神様は、不思議な導きをもってペトロを異邦人へと遣わし、その福音を聞いていた異邦人の上に聖霊が降り、ペトロは彼らに洗礼を授けました。今日の聖書には、このことがエルサレムに住む人…

永遠の命

けれども「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)とあるように、神様は私達の為に救いの道を開いて下さいました。御子イエス・キリストを遣わされ、十字架…

滅ぶべき私達

そもそも私達全ての人間は、滅ぶべき定めにありました。たとえ世間の人達から「あなたは善い人だ」と言われたとしても、ロマ書は「正しい者はいない。一人もいない。悟るものもなく神を探し求めるものもいない。善をおこなう者はいない。ただの一人もいない…

はじめに

本日は、この伝道所で礼拝を捧げるようになって満7周年の感謝礼拝です。今日まで、主にある兄弟姉妹と共に神様を礼拝し、神様の伝道の業にあずからせていただけたことは計り知れない恵みです。伝道は、「道を伝える」と書きます。道とは天国への道、永遠の命…

 11章1―18節

1 さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。2 ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、3 「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言…

 55章8―13節

8 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり/わたしの道はあなたたちの道と異なると/主は言われる。9 天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いは/あなたたちの思いを、高く超えている。10 雨も雪も、ひとたび天…

良い羊飼いとは十字架で命を差し出されたイエス・キリスト

新約聖書で「良い羊飼い」という比喩をもって伝えようとしたのは、実に、イエス・キリストの十字架でありました。十字架という出来事によって、自らの命を羊の為に差し出した羊飼いの姿が表わされています。「羊飼い」という比喩は、詩の世界の単なる文学的…

普通の価値観を打ち破って

それが普通の価値観であるとするならば、その普通の価値観を打ち破ったのが「良い羊飼い」です。良い羊飼いは、羊の命を守るために自らの命をかけるというのです。とするならば、これはもう私達の常識では人間業とは思われない価値観です。確かに三浦綾子の…

サタンの抗弁

そのような議論は旧約聖書のヨブ記にもあります。神様の所にサタンがやってきて、神様と対話する場面です。神様がサタンに対して、「この世の中でヨブという人ほど立派な信仰を持った者はいないだろう」と、彼ほど正しく生き、神を畏れて、悪を避けている者…

「わたしは良い羊飼い」

羊飼いと羊にたとえて、神様との関係を私達が教えられるというのは、この詩編23編だけではなく新約聖書にもあります。その新約聖書にある一例を、先ほど、ヨハネ福音書10章で読みました。特に11節からは羊飼いが出てまいりますが「私は良い羊飼いである。良…

神のいつくしみ

一方的に恵みとして与えられるものですから、恵みと慈しみというのは同じような意味で使われ、人間が人間に示す慈しみがルツ記にそのように表現されておりますが、この23編で言われている慈しみは、人からではなくて、神から与えられるというのです。羊飼い…

恵みと慈(いつく)しみ

そんな羊と羊飼いの歌は、23編の最後で、もう一つのことが言われています。学びたい第三のことですが、6節に、「命のある限り、恵みと慈しみはいつも私を追う。」と歌っています。一生涯、恵みと慈しみは、いつも私に付き添ってくるということです。「恵み」…

食卓を整えてくださる主

しかしそうではない。羊は、主に養われる時に自分に必要な物が与えられて満足だ。そういう状態にあるということが歌われています。「食卓は整えられ、その杯は溢れている」とまで歌うのです。今日は収穫感謝祭!私共にも必要な物が与えられている。それは「…

飽きることを知らない蛭の娘

もしこの羊が、青草や水だけでは十分でない、もっともっと欲しいものがある、と、ぜいたくを求めるならば、まだまだ欲しい、満足ではない、欠けだらけだと叫ぶのかもしれません。まるで、箴言に出てくる蛭(ひる)の娘のように・・。「蛭の娘はふたり。その…

「わたしには何も欠けることがない。」

学びたい第二のことは、一節の後半部分「私には何も欠けることがない」ということです。羊飼いが、青草へ・水へと導いてくれるので、羊は「私には何も欠けることがない」と語るのです。必要な物は十分に備えられているので満足しているという状態です。羊に…

王をも導かれる主

1節の冒頭に「ダビデの詩」とあります。ダビデというのはイスラエルの王様、人々を導く最高権力者でありました。王ですから大勢の人を導くのですが、自らをも、自分をも導かれる。自分も導かれる主が必要である。「自らを導く飼い主が、まさに主である」と…

主は羊飼い

学びたい第一のことは、「主は羊飼いである」ということです。以前、使用していた口語訳聖書では、「主は私の牧者」と訳されておりました。今日、私達が使っている新共同訳聖書は「私」という部分を訳さずに、「主は羊飼いである」と訳しています。原文では…

詩編23編

詩編は150編もある大きな書物で、大体、旧約聖書の中央に位置していますから、聖書を真ん中からちょっと右の方を開くと詩編が開かれます。その150編ある詩編の中でも特に有名なのが、この23編です。はじめに「主は羊飼い、私には何も欠けることがない。」と…

はじめに

昨年のクリスマスに、教会から全員にホームカレンダーを頂き、それを壁に貼ってあります。そのカレンダーには、マーガレット・タラントという画家が書いた絵がついています。その絵の構図は、長い杖を持った羊飼いが中央に立っており、その周りに20匹ほどの…

 10章7ー18節

7 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。8 わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。9 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りし…

 23編1ー6節

1 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。2 主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。4 死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなた…

異邦人への救いは、神様の御計画。

コルネリウスは、自分の民族の宗教に甘んじることなく、ユダヤ教の伝える天地創造主である神様を信じ、聖書の教えに従い、隣人への愛に忠実でした。家長としての役割も果たし、幻で与えられた指示にもすぐ従いました。神様を愛し、人を愛し、真実を求めて生…

聖霊が異邦人に降る

ペトロがまだ語っている最中に、そこにいた異邦人達の上に聖霊が降(くだ)りました。ペトロは異邦人にも聖霊が降ったのを見て、その場で彼らに水の洗礼を授けました。

ペトロの説教

ペトロは、自分が見た幻から始まる一連の出来事が、すべて神様のご計画の中にあり、ユダヤ人とか異邦人とかの区別なく、「神様を畏れて正しいことを行う人は、神様に受け入れられる」ことを宣言しました。そして、イエスを救い主として信じる者は誰でもキリ…

コルネリウスとペトロの対面

コルネリウスは、親類や親しい友人達を呼び集めて、ペトロの到着を待っていました。ペトロはコルネリオと会い、彼の幻の話を聞き、家で待っていた大勢の異邦人に福音を伝える宣教の使命を確信します。

異邦人との面会

ユダヤ教徒はユダヤ人以外の外国人(異邦人)と付き合うことは禁じられていたので、ペトロは異教徒を家に招き入れて話をすることなど考えられませんでした。しかし彼は神の霊に従うという信仰の決断をして、使者を家に泊らせ、翌日、彼らと一緒に出発しまし…

ペトロ

他方、ペトロも幻を見ます。幻に、獣や空の鳥など(レビ記11章で清くないとされるもの)が入っている大きな布のような入れ物が天から降りて来て、それを食べるように言われます。ペトロは、清くない物は食べたことがないと断りますが「神が清めたものを、清…

コルネリウス

彼は、「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」人でした。ある日、幻の中で天の使いからペトロという人を招きなさいと命じられます。彼はすぐに使者を遣わしました。