「わたしは良い羊飼い」

 羊飼いと羊にたとえて、神様との関係を私達が教えられるというのは、この詩編23編だけではなく新約聖書にもあります。その新約聖書にある一例を、先ほど、ヨハネ福音書10章で読みました。特に11節からは羊飼いが出てまいりますが「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。― 狼は羊を奪い、また追い散らす。― 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。」


23編と、特にこの箇所が徹底的に違うことは、羊飼いに、悪い羊飼いと良い羊飼いがいるということです。特に今読んだ後半は、悪い羊飼いであって、狼が来ると羊を置き去りにして逃げる。自分の羊ではないということで、さっさと、多分羊を守る為の杖を放り出して逃げるということです。ですから自分に責任がある命を失ってしまっても、自分の命だけは助かりたいというのが悪い羊飼いだというふうにここでいわれています。


ところで悪い羊飼いといいますが、羊の命と人間の命を比較する。人の命と羊一匹の命を比較する。私共は人の命の方が尊いと判断するのは自然であって、そうならば、あながち、この悪い羊飼いが、羊一匹二匹の命のために、自分の命をそこにかける、羊に対してかけるということは、それは、いかがなものかと言う意見がでるのは当然ではないかと思います。