2007-09-01から1ヶ月間の記事一覧

おわりに

神様の憐れみについての聖書の箇所を一緒に聞きたいと思います。 詩編103:8−13 「主は憐れみ深く、恵みに富み 忍耐強く、慈しみは大きい。永久に責めることはなく とこしえに怒り続けられることはない。主は私達を罪に応じてあしらわれることなく 私達…

たとえの結論

イエス様は「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、私の天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」(35節)と言われます。これは厳しい警告です。神様の「無償の赦し」を忘れて、私達が仲間の罪をいつまでも赦さないならば「無罪放免…

仲間を赦さなかった家来

たとえに登場する「家来」は、一万タラントという借金に真剣に向かい合わなかったゆえに、自分が赦されたことの背景にある「王様の大きな大きな憐れみと恵み」に鈍感になって、わずか100デナリオン(自分の借金の60万分の一)の貸しを赦そうとしませんでした…

借金の返済免除

神様は、たとえの王様のように私達を憐れみ、このつぐないきれない借金を無償で(イエス様の十字架の死と引き換えに)免除して下さいました。 自分自身が、神様の前にあっては、一万タラントという一生かかっても返済不可能な莫大な借金をしている者であり、…

私達の負っている借金とは・・

神様は私達に命を下さいました。家族を与えて下さいました。私達に能力や賜物や健康を与えて下さり、生きていくのに必要な太陽や空気、水など自然の恵みを与えて下さり、必要な食物で養って下さいます。 私達は造り主である神様に従って正しく生きていかなけ…

たとえの意味

王は「神様」、一万タラントという莫大な借金を負っている家来は 「私達人間」のことです。この話は「人間は一生かかっても つぐなうことの出来ない罪を負っていること」。「その大きな罪を神様に赦していただきながら、その一方で、小さな人間同志の罪を赦…

ところが・・

この家来は帰り道、自分が100デナリオンを貸している仲間に出会いました。彼は仲間に「借金を返せ」と要求します。仲間はひれ伏して「どうか待ってくれ」と頼みます。しかし彼はその願いを聞き入れず、仲間を牢屋に入れてしまいます。これを知った王様は,家…

たとえ

このあとイエス様は一つの譬え話をされました。それは王様と借金を返せなくなった家来の話です。家来は多分地方長官と考えられ、集めた税金の一万タラントを使い込んでしまったと考えられます。当時、ガリラヤとベレアを治めていたヘロデ・アンティパスが受…

イエス様のこたえ

その答えは驚くべきものでした。「七回どころか、七の七十倍までも赦しなさい。」でした。これは、1回2回と数えて覚えていられる数ではありません。すなわち「無限に、無制限に、限りなく」赦しなさいとイエス様は教えられたのです。

はじめに 

ペテロがイエス様に質問しました。「主よ、兄弟が私に対して罪を犯したなら何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 当時のユダヤ教指導者達は同じあやまちは三度までゆるされるが、四度目からは赦されないと教えておりました。ペテロは当時の「三度」を…

18章21−35節

21 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」22 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。23 そこで、天の…

イエス・キリストの現臨 

イエス様の名の下に、心を一つにして集まる所には、イエス様ご自身がその中に現臨される(そこに一緒におられ、交わりを続けられる)という恵みと幸いの約束がここにあります(20節)。イエス様の名前によって宣教され、イエス様の名前によって悪霊が追い出…

祈りの力

二人が地上で心を一つにして祈る時、祈りはかなえられるとイエス様は約束されます。心を一つにして祈るとは、一人の祈りが他の人の祈りになるほど固く結合することです。二人が神様に対して同じ確信を抱いて祈る時、同じ賜物が二人を元気づけて感謝へと誘い…

教会の権威

教会は、イエス様が弟子達に託した「罪の赦し」の宣言(ヨハネ20:22‐23)の使命を継承している所です。教会にはそのような権威と責任が与えられていることを私達は信じるのです。悪に対する戦いは、祈りへと導きます。

第三段階

しかしそれでも忠告が聞き入れられなかった時、教会の群れ全体でその人と向き合い、罪から離れるように勧告します。その人は罪から離れるか、教会の人々の愛から離れるか、選ばなければなりません。その人がかたくなであり続けるならば「主にある兄弟姉妹と…

第二段階

教会がいつも正しくある為には罪をそのまま温存させてはなりません。罪は、その人の周囲の人々をもおびやかすようになるからです。もし、忠告が聞き入れられなかった時、「他に一人か二人」を連れて行って再び話さなければなりません。ユダヤ法でも、すべて…

教会の規律について

教会の群れに属する者が明らかに信仰の道から外れたことをした時、そのことを知った者は見過ごしにせず「二人だけのところで忠告する」ように教えています。忠告は正しい道に戻すという意味があります。教会は、罪の支配から救われた者達の「信仰告白共同体…

はじめに

今日の聖書は、教会の規律について・その根拠・祈りの力について・祈りの権威は、教会の中に働いておられるイエス・キリストの現臨(イエス・キリストがここにおられる)にあることが語られます。

 18章15−20節

15 「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。16 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によっ…

迷い出た羊は、1人では戻れない

迷い出た羊は一匹だけで生き延びることはできないように、教会から離れた魂は自分だけで命の泉から水を汲むことはむつかしく、滅びの道へとつきすすみます。この世の支配、私達を神様から遠ざけるこの世の罪の支配は、すさまじいほどに強く、私達の目をくら…

すべての人は、羊飼いに守られるべき羊

豊かな人も貧しい人も、若い人も高齢者も、健康な人も病める人も、障害をもっている人も、仕事のある人もない人も、教会の門から入ってくるように、門は開かれています。そして、教会の中には序列はありません。牧師は説教の役割が与えられ、信仰告白共同体…

教会の群れの所有者は神様です。

それゆえ弱くても、小さくても、神様の所有である羊どうし互いに軽んじないように気をつけましょう(10節)。エゼキエル書にこうあります。 「まことに、主なる神はこう言われる。見よ、私は自ら自分の群を探しだし、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がち…

神様の御心

結論は「小さな者が一人でも滅びることは、天の父の御心ではない」(14節)ということです。一人のとうとさ、かけがえのなさ、その一人を徹底的に探し求められる神様の愛を心に刻み、私達教会の群れも失われた羊を探し求めて連れ帰ることを忘れてはなりませ…

山とは教会

ある註解者は99匹が山に残されることに注目します。山はイエス様が集中的に福音を伝え教えられる場所であり、そしてイエス様が変貌された場所(17 章)でもあり、さらに又、復活したイエス様が弟子達を招いて宣教の使命を与えられた(28:16)場所でもありま…

小さな者

小さな者がどれほど大切であるか、イエス様は譬え話をされました。 主人公は100 匹の羊を飼っていました。彼は羊に草を食べさせ水を与え、獣や羊泥棒から杖や石投げを使って群れを守りました。家に戻る時に、一匹足りないことに気付きました。羊は視力が弱く…

教会の中にも

教会にもこの世の価値観が入り込んできます。ヤコブ書に「私の兄弟達、栄光に満ちた、私達の主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、又、汚らしい服装の貧しい…

はじめに

これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。」(10節)とありますように、私達は気をつけていないと、小さな者を軽んじてしまうことがあることを警告しています。人は人に対して優劣をつけたがります。特に相手の人が自分より優れているか,…

 18章10−14節 

10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。11 *人の子は、失われたものを救うために来た。12 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹…

「帰りなさい。新しい状況が待っているところに行きなさい。あなたは生きる。」

こう言ってくれるのは神様の言葉であるイエス様だけです。神様の言葉を信じイエス様を救い主と信じること、これこそがどのような状況の時でも私達を生かす力であり、神様の言葉,イエス様の言葉こそが真に生きる力だと聖書は教えていてくれます。使徒パウロは…

両親の残したもの 

両親が亡くなった後、その住まいの整理をしましたが、つつましく生きた二人には財産などというものは一つもありませんでした。それでも私は両親が貧乏で不幸せであったなどと一度も感じたことはありませんでした。神様を信じ感謝と喜びの生活をしていた二人…