2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧
多くの教会では、マルティン・ルターの宗教改革を覚える日として、10月31日に最も近い日曜日を宗教改革記念礼拝として守っています。1517年10月31日、ドイツの小さな町 ヴィッテンベルク大学の聖書学の教師マルティン・ルターが、城教会の扉に95か条の提題を…
16 それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り…
ぶどう園での労働も、最後に来た者が最初に賃金を受け取ることが出来たのも、時間に関係なくすべての人が一日分の賃金を与えられたのもすべては雇い主(神様)の憐れみによります。「先にいる者が後になる」とは、この憐れみを忘れて自分の体験からいつしか…
たとえで、広場に行く時間や主人に声をかけられた時間の違いは何を意味しているのでしょうか。「先の者」はユダヤ教徒、「後の者」はキリスト教徒と読む人もいますし、すぐ前に登場したペテロを「先の者」と読み、ペテロより後からイエス様に従った者を「後…
主人とは神様のことです。地上の人間は、みな、自分の本当の主人に出会い、自分の仕事を得たいと願っています。しかし多くの人々は、自分の本当の主人(命を与え、この地上に存在させ生かして下さる方)に会えずにいます。たとえで、主人に出会うことが出来…
夜明けと共に働き始めた最初の労働者達は、自分達はまる一日暑い中を辛抱して働いたのに、たった一時間しか働かなかった者達と同じに扱われたと不平を言いました。それに対する主人の答は、「友よ、あなたに不当なことはしていない。」でした。「私は最後の…
労働の時は終り、支払いの時が来ました。主人は最後に来た者から賃金を払うように監督に命じます。労働時間が1時間の者から始まり、3時間、6時間、9時間、最後に夜明けと共に働いた者に支払われました。一時間しか働かなかった者達に一デナリの賃金が支払わ…
今日の聖書はイエス様が天の国について語られたたとえ話の一つです。内容は、ぶどう園を持っている主人が収穫の時、労働者を雇う為に夜明けに広場に出かけて行きます。そして仕事を得るために待っていた人々に、当時の一日の賃金である一デナリを支払う契約…
1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立ってい…
青年は、自分は律法を完璧に守ってきたと思っていたけれども、実はそうではない人間であったことに気付き、「行為で永遠の命を得る」ことは不可能であることを認め、自分の経歴や歩みに依存するこれ迄の生き方を放棄してイエス様の前にひれ伏したならば、彼…
幼い頃から律法を学び、熱心に律法を守ってきたこの青年は、行為で神様の心を動かせると考えていました。それゆえイエス様の言われたことを、神様が求める救いの条件として聞きました。財産放棄しなければ、神様は「永遠の命」を与えられないと考えてしまっ…
イエス様は、自分に満足しているこの青年の目を開き、自分の罪を知らせて、ただ一人善い方である神様にのみ目を向けさせ、神様を通してのみ「永遠の命」を求めていくように導かれました。その為には、ご自分と青年とを引き離している「富」に目を向けて、そ…
イエス様は青年の偽善を見抜かれました。善いことについて知りたければ人に聞くのではなく善であられる神様に聞くべきです。神様の意志は律法に明確に表されています。その戒めを聞けば良いのです。青年はそのことを知りながら、それを脇に押しやり、戒め以…
この青年が求めていた「永遠の命」とは、信仰の熱心なユダヤ教徒が切望していたものでした。地上を去った後、神様の支配のもとで祝福に満ちた来るべき世に住む「生命」のことで、復活の希望も、律法を守ることや安息日を守ることも、永遠の命を得る道につな…
今日の聖書は、たくさんの資産をもっている金持ちの青年が、永遠の命を得たいとイエス様のところに来ましたが、イエス様から富を貧しい人々に施し,天に富を積むように言われて悲しみ立ち去ったという話です。
16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を…
イエス様が引用された創世記には、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(2:18)といわれたことが、女を創られた経緯として記されています。原語(ヘブル語)では、「私は彼のために、彼と向き合う者としての助け手を、彼の為に彼女を…
弟子達はイエス様の言葉を聞いて恐れを覚えました。彼らは結婚とは人格と人格の結びつきであるとは考えませんでしたし、結婚が自分の全生涯をそこにかけるような、互いに自分をささげあうような、そのような重い決断を必要とするとは考えず、何か困難なこと…
イエス様は律法解釈で混乱している人々に、新たな教えを語られました。男の人が自分の妻を離縁して独身のまま終らず、別の女の人と結婚するならば、それは姦淫にひとしく結婚を冒涜するものであると言われました。なぜなら神様は最初の妻と結び合わせたので…
神様は、確かに離縁状を渡すことをお許しになった。しかしそれは、人間の悪い衝動を野放しにしない為に律法で規制しているのであって、神様の完全な意志がそこにあらわれているのではない。「あなたたちの心が頑固なので、・・」(8節)これが、ファリサイ派…
ファリサイ派の人達は、神様の意志を考える前に、人間の側に自由に決める余地を残そうとしました。どうしたら男は離婚を正当化出来るだろうか、と熱心に考えたのです。イエス様が、結婚という神様のみ業を人は破壊し分離させてはならないと教えられたことに…
イエス様は創世記(2:24)から、神様が男と女とを造られたこと、結婚は、神様が男と女とを結び合わされることを説明して、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(6節)と答えられました。結婚によって、二人は別々ではなく一人…
ユダヤにおいて当時、男が女に離縁状を渡す離婚には二つの考え方がありました。一つは、夫に(離婚する)権利は無制限に与えられているとする考え方、他方は、結婚を解消するには、まじめな真剣な根拠がなければならないとの考えです。どちらも男は離婚する…
1 イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。2 大勢の群衆が従った。イエスはそこで人々の病気をいやされた。3 ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻…