青年はどう聞くべきであったのか。

 青年は、自分は律法を完璧に守ってきたと思っていたけれども、実はそうではない人間であったことに気付き、「行為で永遠の命を得る」ことは不可能であることを認め、自分の経歴や歩みに依存するこれ迄の生き方を放棄してイエス様の前にひれ伏したならば、彼の新しい道は開かれたでしょう。永遠の命とは人間の努力によって勝ち取るものではなく、神様の一方的な恵みの賜物として与えられるものであることがわかったならば、彼の生き方は根本的に変えられたことでしょう。そして、自分を束縛していたすべてのものから解放されて、唯一の、善き教師であられる神様にのみ信頼して生きることを学んだでしょう。しかし彼はイエス様の言葉を、「更なる行為の要求」と聞きました。その結果、富を捨てることは出来ない!と悲しみながら(22節)立ち去りました。私達は、この青年のようにイエス様との間を隔てるものを持っていないでしょうか。また、行為で神様の報いを期待していないでしょうか。富める青年の話は、私達への警告でもあります。