2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)

イエス様によって救われ、新たにされた私達がまずなすべきことは、この世のやり方から決別し、方向転換する決意をすることです。これを「悔い改め」と言います。そしてより具体的な勧めの言葉がロマ書12章にあります「・・心を新たにして自分を変えていただ…

癒された人々は・・

湖を渡り終えゲネサレトという土地に着いて舟から上がると、一行を待っていたのはイエス様に救いを求める人々でした。イエス様の名前を聞くと、村でも町でも里でも、人々は病人の癒しを求め、病人を運んで懇願しました。イエス様は、ご自身の御力を信じるこ…

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

五千人もの人々を満腹させたイエス様の奇跡を見て弟子達は、イエス様の、神の御子としての御力を体感していたのに、それでもまだイエス様のことを理解していなかったといえるでしょう。しかし、イエス様は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と…

逆風の中での弟子達の不信仰

イエス様から、舟に乗って向こう岸まで行くように言われた弟子達は、湖の真ん中まで来た時、逆風が吹いてこぎ悩み、大変難儀していたことが記されています。ガリラヤ湖は、どんなに悪天候でも6時間から8時間で渡り切る距離だそうです。夕方、湖の真ん中に…

はじめに

今日の聖書は「5千人に食べ物を与えた」奇跡の出来事の直後の話です。ヨハネ福音書の記述では(6章)、群衆は、イエス様のその凄い御力を知り「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言って熱狂しイエス様を自分達が思い描く「王」として担ぎ出そ…

6章45−56節

45 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。46 群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。47 夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地にお…

107編29−32節

29 主は嵐に働きかけて沈黙させられたので/波はおさまった。30 彼らは波が静まったので喜び祝い/望みの港に導かれて行った。31 主に感謝せよ。主は慈しみ深く/人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。32 民の集会で主をあがめよ。長老の集いで…

「これは主の霊の働きによることです」(3:18)。

神様の霊の働きを受けるということは、そういうことが可能になる、許されている、ということをウェスレーは強調したわけです。 かつて銀座教会で牧会された旧約学者の渡辺善太先生が「今の俺 俺は俺でも この俺は キリスト知りし後の 俺でない俺」と歌いまし…

未見(みけん)の我

岡山の聖心女子大学学長をされたシスターの渡辺和子先生の文章の中に「80歳を越えました。それでも尚、私は日々、未見の我が現れるのを日々楽しみにして生きている」とありました。年齢に拘わらず、未だかつて見たことのない自分への期待を持つというわけで…

主イエス・キリスト

主イエスは愛の人であられました。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ福音書15:13)とおっしゃって、これを文字通り実践して下さり、私達罪人を友として、その罪からの救いの為に、その贖いの為に自らの命を投げ出して…

「主と同じ姿に・・」

コリントの手紙二の3:18に、私達は造り変えられていくけれども、その目標、お手本に、主イエス・キリストのお姿があると述べられています。「私達は・・主と同じ姿に造り変えられていきます。」 ここが難しいと思います。 私は洗礼を受けて40年以上、按手礼…

新生

私は青山学院に繋がることになりましたが、青山学院はメソジストと呼ばれるキリスト教の流れにあり、その流れを切り開いたのがイギリス人牧師ジョン・ウェスレーです。実は、私自身がこのウェスレーが強調した「新生」「新しく生まれ変わる」を強調したアメ…

キリスト教は「接ぎ木型」宗教

聖書にありましたように、私達は「自分である」ということを失うことなく、それでも、その自分が新しく造り変えられていくということが約束されている。変わっていってよい、と許されている。それを言う宗教がキリスト教です。しかもそれは突然の変身ではな…

日本人の感覚

日本人がキリスト教になかなかなじめないという理由の一つに、キリスト教自体がまだ外国の宗教というイメージで、何となくおっかないという感覚があるかと思います。しかしそれ以上に、キリスト教に入信すると、あまりにも突然、自分が自分でない者にさせら…

古い状態(幼虫)から新しい状態(成虫)への変化

人間が造り変えられる、「カイノス」(フレッシュ)ということをしっかり教えてくれるのは、コリントの手紙二の3:18です。「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきま…

新しいものへの恐怖

私達人間には、多かれ少なかれ、新しいものに対する恐怖心や、おっくうさや嫌悪感というものが潜んでいます。古いもので慣れ親しんできたものの方を心地良いという感覚、態度があります。しかし古いものに留まるという状態が、それにしがみついて離れられな…

「新しく造られた」

「新しく」と言われる言葉には、あるニュアンスが込められています。新約聖書原語のギリシャ語では「新しい」という言葉には二つあって、一つは「ネオス」、もう一つは「カイノス」といいます。「ネオス」は英語ではニュー(new)という言葉で受け継がれてい…

新たに変わる

この礼拝で改めて申し上げたいのは、キリスト教は、人は神様から人を生かし造り変える霊の力、御霊(みたま)の力をいただいており、そのことによって自分自身が新たに生まれ変わっていくことが出来るし、又そうでなければならないし、又そのことが許されてい…

私の告白

私自身も過日、家族と会話をしながら、自分自身の「父親」としての在り方について深く反省させられる言葉を受けました。この年になり、なおしようがないと半分居直り気分で苦笑いしながら聞いていましたが、しかしそれでは済まない自分自身がそこにいること…

はじめに

皆さん!今の自分でいいのでしょうか? これは誰もが自分と向き合い心の奥底で自問する時に、絶えず発せざるを得ない問いです。学生さんで言えば、「とりあえずは家族に守られている。親から愛してもらい、経済的にも何とか支えられている。だから今の自分で…

3章17−18節

17 ここでいう主とは、““霊””のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。18 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによる…

5章17節

17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(二テモテ4:2)

ロマ書には、信じたことのない方を呼び求めることは出来ない。聞いたことのない方を信じることは出来ない。宣べ伝える人がいなければ聞くことは出来ないとあります(10:14)。私達はパウロのようにではなくても、自分の身に起こったこと、起こっていること…

「恐れるな。語り続けよ。」

このみ言葉は、主が私達にいつも語りかけて下さる励ましの言葉でもあります。日常生活の中で友人・知人に伝道していこうとする時、或いは、正しいことを語ろうとする時、私達は相手がどのように反応するかがわからず不安を覚えることがあります。相手に嫌が…

主イエスの御声

ある夜、パウロは幻をみて主イエスの声を聞きます。 「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私があなたと共にいる。だからあなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」 パウロはこれまでも、主が共にいて下さることを信…

それでも神の業は起こる

パウロは、アキラ夫婦の家を出て、ティティオ・ユストというユダヤ人の会堂の隣にある家に移り住みました。今度はそこが伝道の場となり、ユダヤ人の会堂長クリスポと言う人がユダヤ教から改宗し、一家をあげて信仰者となりました。さらに、この地において多…

はじめに

本日は、パウロの第二回目の伝道旅行の最後の伝道地となったコリントでの出来事を通して学びたいと思います。 コリントは、紀元前27年にはローマのアカイア州の首都となり繁栄しましたが、不道徳な町でも有名でした。パウロは職業が同じであったユダヤ人夫婦…

 18章1−11節

1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロは…

 111編4−8節

4 主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み5 主を畏れる人に糧を与え/契約をとこしえに御心に留め6 御業の力を御自分の民に示し/諸国の嗣業を御自分の民にお与えになる。7 御手の業はまことの裁き/主の命令はすべて真実8…

説教を聞いた人々の反応

パウロはアテネの人達を偶像から離れさせ、まことの神と、復活の主イエスに目を向けるよう導きました。その結果、「死者の復活」につまずいた者、信仰の決断を留保した者、そして信じた者に分かれました。アレオパゴスの説教は、今も、全世界の教会で語り続…