「これは主の霊の働きによることです」(3:18)。

 神様の霊の働きを受けるということは、そういうことが可能になる、許されている、ということをウェスレーは強調したわけです。 かつて銀座教会で牧会された旧約学者の渡辺善太先生が「今の俺 俺は俺でも この俺は キリスト知りし後の 俺でない俺」と歌いました。私達は、変わることに躊躇してはいけない。周りの人が驚いても、そんなことに躊躇してはいけない。変わるべくして、変わっているのです。


 幼虫が成虫に変わる時に、今迄と全然違う形になるように、そういう鮮やかな変身をとげることが許されている、ということがキリスト教の福音のメッセージだということを覚えていただきたいと思います。