2010-07-18から1日間の記事一覧

「これは主の霊の働きによることです」(3:18)。

神様の霊の働きを受けるということは、そういうことが可能になる、許されている、ということをウェスレーは強調したわけです。 かつて銀座教会で牧会された旧約学者の渡辺善太先生が「今の俺 俺は俺でも この俺は キリスト知りし後の 俺でない俺」と歌いまし…

未見(みけん)の我

岡山の聖心女子大学学長をされたシスターの渡辺和子先生の文章の中に「80歳を越えました。それでも尚、私は日々、未見の我が現れるのを日々楽しみにして生きている」とありました。年齢に拘わらず、未だかつて見たことのない自分への期待を持つというわけで…

主イエス・キリスト

主イエスは愛の人であられました。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ福音書15:13)とおっしゃって、これを文字通り実践して下さり、私達罪人を友として、その罪からの救いの為に、その贖いの為に自らの命を投げ出して…

「主と同じ姿に・・」

コリントの手紙二の3:18に、私達は造り変えられていくけれども、その目標、お手本に、主イエス・キリストのお姿があると述べられています。「私達は・・主と同じ姿に造り変えられていきます。」 ここが難しいと思います。 私は洗礼を受けて40年以上、按手礼…

新生

私は青山学院に繋がることになりましたが、青山学院はメソジストと呼ばれるキリスト教の流れにあり、その流れを切り開いたのがイギリス人牧師ジョン・ウェスレーです。実は、私自身がこのウェスレーが強調した「新生」「新しく生まれ変わる」を強調したアメ…

キリスト教は「接ぎ木型」宗教

聖書にありましたように、私達は「自分である」ということを失うことなく、それでも、その自分が新しく造り変えられていくということが約束されている。変わっていってよい、と許されている。それを言う宗教がキリスト教です。しかもそれは突然の変身ではな…

日本人の感覚

日本人がキリスト教になかなかなじめないという理由の一つに、キリスト教自体がまだ外国の宗教というイメージで、何となくおっかないという感覚があるかと思います。しかしそれ以上に、キリスト教に入信すると、あまりにも突然、自分が自分でない者にさせら…

古い状態(幼虫)から新しい状態(成虫)への変化

人間が造り変えられる、「カイノス」(フレッシュ)ということをしっかり教えてくれるのは、コリントの手紙二の3:18です。「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきま…

新しいものへの恐怖

私達人間には、多かれ少なかれ、新しいものに対する恐怖心や、おっくうさや嫌悪感というものが潜んでいます。古いもので慣れ親しんできたものの方を心地良いという感覚、態度があります。しかし古いものに留まるという状態が、それにしがみついて離れられな…

「新しく造られた」

「新しく」と言われる言葉には、あるニュアンスが込められています。新約聖書原語のギリシャ語では「新しい」という言葉には二つあって、一つは「ネオス」、もう一つは「カイノス」といいます。「ネオス」は英語ではニュー(new)という言葉で受け継がれてい…

新たに変わる

この礼拝で改めて申し上げたいのは、キリスト教は、人は神様から人を生かし造り変える霊の力、御霊(みたま)の力をいただいており、そのことによって自分自身が新たに生まれ変わっていくことが出来るし、又そうでなければならないし、又そのことが許されてい…

私の告白

私自身も過日、家族と会話をしながら、自分自身の「父親」としての在り方について深く反省させられる言葉を受けました。この年になり、なおしようがないと半分居直り気分で苦笑いしながら聞いていましたが、しかしそれでは済まない自分自身がそこにいること…

はじめに

皆さん!今の自分でいいのでしょうか? これは誰もが自分と向き合い心の奥底で自問する時に、絶えず発せざるを得ない問いです。学生さんで言えば、「とりあえずは家族に守られている。親から愛してもらい、経済的にも何とか支えられている。だから今の自分で…

3章17−18節

17 ここでいう主とは、““霊””のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。18 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによる…

5章17節

17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。