主イエス・キリスト

 主イエスは愛の人であられました。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ福音書15:13)とおっしゃって、これを文字通り実践して下さり、私達罪人を友として、その罪からの救いの為に、その贖いの為に自らの命を投げ出して下さった方であられました。


 生身の人間である私達が、この愛を行うことがいかに不可能であるか私達は知っています。人間はいかに罪深い者か・・どんなにそれを語っても語り切れません。そういう現実があります。しかし主イエスのお姿と私達の落差にばかり気をとられて、ため息をつくばかりでは、神様が望んでおられる生き方ではないのです。


 変えられることに怯み(ひるみ)、変えられることを怠ることは、やめなければいけないのです。今、私に出来ることから始める。たとえば、私の周りにいる、私が気になっている人への態度を変える。思いやりを持つ。いつもその人に投げかけている言葉使いを変えてみる。そういうことから始めなければいけない。確かに、十字架の死に至るまで罪人への愛を貫徹された主イエスと同じ姿に変えられていくということは至難の業です。しかしそれでも尚、私達はその姿を目標に、それに一歩でも近づくように神様の、その霊の力によって変えられたい、変えていただきたいと祈りたいと思いますし、ほんのちょっとした変更を加えていくことをしたいと思うのです。


 それが神様の私達への恵みのお招きであるからです。この恵みのお招きは、立場・年齢にかかわらず、一切区別・差別はありません。


 相当な年齢であったはずのユダヤの国会議員ニコデモが、「年寄りがどうして生まれ変われましょう。」と言った時に、主イエスの返事は、「『人は、新たに生まれねばならない』と言ったことに驚いてはならない。」「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」と、言われました(ヨハネ福音書3章)。