2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧
この後、人々が祝福を求めて子供達を連れて来ましたが、弟子達は叱りました。イエス様はこれを見て憤られ、子供達を抱き上げ手を置いて祝福されました。神様の祝福は、神様に向かおうとする人々に対しては開かれており、豊かに、広がりゆくものなのです。私…
イエス様はこのあと、結婚した妻を(自分の欲望を中心に考えて)離縁して他の女をめとる男も、逆に、女性から離縁を切り出し、他の男性と再婚する女性も、相手に対して姦通の罪を犯すことになると警告しました。結婚は、人間に対する神様の祝福ではあります…
イエス様は、モーセよりも更に根本の、偉大な神様の御心を根拠として離縁の問題を読み解かれました。神様の打ち立てて下さった祝福としての結婚が包括的なものである以上、二人で、その形を、少しずつ時間とエネルギーを懸けて、建設的に造り上げていくこと…
ファリサイ派の質問に対して、イエス様は次のことを明らかにされました。「天地創造主なる神様は、人間をご自分の似姿として創られ、男と女に分けて創られたこと、そして、一人の男と一人の女の二人が一つとされるという結婚の形を通して、ご自分の創られた…
「モーセは何と命じたか」と、イエス様は彼らのよりどころとするモーセの律法に立ち返って質問されました。彼らは「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と答えました。イエス様は、「そのような掟が書かれたのは、人々の頑固な心の故であり…
「夫が妻を離縁することが律法に適っているかどうか?」ファリサイ派の人々は、イエス様に尋ねました。律法には、離縁と再婚についての掟が書かれています(申命記24章)。
(1)イエスはそこを立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。群衆がまた集まって来たので、イエスは再びいつものように教えておられた。 (2)ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた…
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 こういうわけで、男は父母を離…
賛美と感謝を忘れなかったサマリア人は、イエス様の救いが肉体だけにとどまらず、精神、その心を含めたすべての救いにまで及びました。この救いは神の国に入り、神の民とされたことを意味します。 神様を知っていながら「私は運が良い!」「ラッキー!」とい…
九人のユダヤ人は、サマリヤ人が戻るのを見ても、「彼はユダヤ人でないのに癒してもらったのだから当然」と見過ごしたのでしょう。自分達(選民)は、このような恵みを受けるのは当然と思い上がり、癒される前の自分がどんなにみじめで辛い日々をすごしてき…
その直後、一人のサマリヤ人が、自分に起こった神様のわざを大声で賛美しながら、その神様の御業へと導いて下さったイエス様に感謝をささげるために戻って来ました。戻ったのは、彼、一人だけでした。イエス様は言われました、「清くされたのは十人ではなか…
イエス様に遠くから「憐れんで下さい」と呼ばわった十人に、イエス様は、祭司のもとに行くよう言われました。レビ記14章に、この病が治った時にするべきことは、まず祭司に体を見せて、確かに治っていると判断されれば、清めの儀式を受けることが定められて…
「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口髭をおおい、『私は汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状がある限り、その人は汚れている。その人は、独りで宿営の外に住まねばならない」とレビ記にあります(13:45)。 この病は…
今日の聖書は、イエス様がエルサレムに向かう旅の途中の出来事です。場所はサマリヤとガリラヤの間、丁度境界線のあたりにある村のようです。当時、ユダヤ人とサマリヤ人が敵対関係にあったことは知られていますが、今日、登場する重い皮膚病(初めの訳では…
イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 イエ…
主は貧しい人の苦しみを/決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく/助けを求める叫びを聞いてくださいます。それゆえ、わたしは大いなる集会で/あなたに賛美をささげ/神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。貧しい人は食べて満ち足…
「塩」とは、「救い主イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義」と言えるでしょう。それは、どんな時にも主イエスを救い主と信じ、そのために働くことを感謝する信仰と、その信仰への神様の祝福と言えるでしょう。そうである…
ここでの「火」は、神様の御性質を表す具体的な事象と言えるでしょう。「あなたの神、主は焼き尽くす火であり、熱情の神」とあります。又、預言者イザヤが召命を受けた時、炭火で唇を清められ、それ以降、神様の預言を語る者とされました(イザヤ書6章)。「…
手、足、眼。どれも人間に罪を犯させるきっかけになる感覚や手段になったりします。イエス様は、体が完全でも、罪に陥って永遠の命にあずかれない(神の国に入れない)よりは、大事な体の健全さを失っても、永遠の命に与る(神の国に入る)ほうが素晴らしい…
イエス様の価値を知り、その弟子の為に行動する者を、イエス様は、「私を信じる小さな者」(42節)と言われます。「信仰の幼い者」と言い換えることも可能でしょう。その者はやがて信仰において成長し、神の国の民として立派な働きをすることになるかもしれ…
イエス様の名前を使うことをやめさせようとしたとの報告を聞いたイエス様は、「やめさせてはならない」と言い、彼らは、悪霊退治をした後、すぐにイエス様のことを悪く言えず、彼らは味方である、と弟子を忍耐強く諭されました。更に具体例として「あなた方…
今日の聖書では、イエス様の名前を利用して悪霊退治をしている人に、弟子のヨハネが、止めさせようとしたことをイエス様に報告をしています。止めさせた理由は「私達に従わないので」(38節)です。「私達」とはイエス様がリーダーの「弟子達グループ」であ…
38 ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」 39 イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口…
穀物の献げ物にはすべて塩をかける。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな。献げ物にはすべて塩をかけてささげよ。
見失った羊を見つけ出した羊飼いの喜びが大きなものであるように、神のもとに立ち帰る一人の人が起こされるなら、天において大きな喜びが起こります。律法学者やファリサイ派の人々も、共にこの大きな喜びにあずかるようにと、イエス様は譬えをもって招かれ…
神様を信じて神様に従うことで、人は初めて人として正しく生きることが出来ます。しかし人間は、アダムとエバ以来、罪をもって生まれ、罪の中に生き、神様から離れて、自分を神とする生き方をするようになりました。そこで神様はイエス様を遣わし、人間はイ…
ルカによる福音書15章では、イエス様は三つの譬え話をされています。最初の譬えは百匹の羊を飼っている人が、一匹の羊を見失った話です。羊飼いは、羊が狼などに襲われるのではないか、岩山に足をすべらして谷底に落ちるのではないか、と、必死で探しまわり…
しかしイエス様は、「今、現在、あなたは罪人だから、徴税人だから、」ということで、心を閉じることはありません。どのような人であろうとも、「イエス様の話を聞きたい」という気持さえあれば、いつでも心を開いて迎え入れました。ところが今日の箇所では…
彼らは、旧約聖書で教える神様の義(神様が教える正しさ)に従うことにおいては忠実でした。自分の良心にかけて、真理であることに熱心でした。(私達のように、頭でわかりながらも妥協の多い生き方−たとえばウソも方便など−をしている者達に比べたら、比べ…
今日の聖書の直前には、「聞く耳のある者は聞きなさい」とのイエス様の言葉があり、そして1節に、徴税人や罪人が、皆、話を聞こうとしてイエス様に近寄ってきたとあります。彼らは、ユダヤ人社会から疎外された人達でしたが、イエス様の話を聞く為にイエス様…